ヒーローと呼ぶには何か足りなくて。だけど“ありがとうございました”で済ませてしまうには勿体無い。
そう思う明確な理由なんてわからないけれど、あの無気力な、けれどひどく綺麗な灰色の瞳に自分が映ったことが嬉しくて、単純にまた会えたらいいなと、考えていたんだ。
それをなんと呼ぶか
「カイ?」
「うん」
「誰だろ、先輩?」
「分かんない、けど…たぶん先輩」
「どんな感じの人?」
「背が高くて、短髪で、あと…会長と仲良さそうだった」
なりなり会長は二年生で、“カイ先輩”はそんな彼と親しげに言葉を交わしていた。同級生だとしたら二年生で、しかも三年の先輩には敬語だったから、やっぱり二年生だと思う。
「え、あの会長と?それってあの人じゃん?あのやたらでかい人」
二度も助けてもらったのに、僕は“カイ先輩”のことをなにも知らない。名前だって、会長がそう呼んでいたから“カイ”なのだろうと思っただけ。それに、転校してきたばかりで友達も少ないから、誰かに聞くのも勇気が必要で。唯一気軽に話せる隣の席の関谷くんに聞いてみた。
「うん、すごく背が高くて、肩とかしっかりしてる。ちょっと目付き悪い、かも」
「うわあ〜やっぱあの人だ。高梨先輩」
「タカナシ?」
「そ、高梨櫂」
高梨櫂、頭の中で繰り返し、しっかりと脳に刻み込む。
「二年二組の、無気力サボリ魔。強いかどうかはしらないけど、不良たちと喧嘩するのも面倒で、黙って用心棒みたいなポジションにいる人。ほら、あんなでかくて目付き悪い人に、わざわざ喧嘩売ろうなんて思わないだろ?」
そういえばそんな感じの言葉をあの先輩たちも呟いていた気がする。
「それだけでも充分たち悪いけど、やっぱり一番はあの会長と仲が良いっていうのがなあ…」
「会長、すごくいい人なのに?」
「……そうだな、知らないなら知らないままの方がいいかもしれん。あの変態腹黒鬼畜眼鏡のことなんて」
「?」
なりなり会長は何度も僕を助けてくれたし、転校生だからって声をかけたりもしてくれる。真面目で優しい人なのになあ、と思ったけれどそれは声にならないまま関谷くんが話を続ける。
「とにかくな、糸井」
「ん」
「いくら助けてもらったからって、先輩のこと知ってどうする気?お礼言うだけなら良いけど、深く関わりたいとか思ってるなら俺は止めるぞ」
「どうして?」
「だって、あの高梨先輩だぞ?気まぐれに学校に来て、気まぐれに帰って、いっつもだるそうな顔して、糸井を助けたのだってただの気まぐれだったかもしれない。そうだとしたら次は、知らん顔されるかもしれないんだぞ。わあ、いい人!なんて思っててそんなのされたら糸井が辛いだろ?」
「櫂先輩って、そんなに気まぐれな人なの?」
「いや、この学校で一番なんじゃねえの、いやもしかしたら人類最強にかもしれんな。あの気まぐれと面倒くさがりは。それに、現にここ何日か見てないんだろ?」
確かにだるそうな目だな、とは思ったけれど。そんなため息をつくほどなのだろうかと、少し疑問に思った。そんなに無気力な人なのに、僕を助けるためにあんなことを言うのだろうか…
“つぐみに手ぇ出すなら、容赦しません”
「っ、」
「糸井?どうした急に」
「へ、あ…」
「顔赤いぞ?考えすぎて熱でも出たか?保健室行く?」
先輩の声を…その言葉を思いしただけなのに。
「うん、行こうかな…」
「おー、じゃあ五限は休むって先生に言っとくな。気を付けていっらっしゃいな」
「ん、ありがとう」
熱くなった顔を見られたくなくて、逃げるように教室を出た。前に先輩と上がってきた階段を思い切り駆けおりて、廊下も走って保健室のドアの前で立ち止まった。新しいベルトを買うまで貸してやると言って渡された、櫂先輩のそれを見下ろして、ベルトってありがたいものなんだなんて改めて感じながら。それから息を整えて、ドアへと手をかけた。
「あ…」
開かない。
「せ、先生ー、居ませんか?」
鍵がかかっていて、しかも中からの返事はない。転校してきた次の日、サボる場所はないぞと関谷くんに教えてもらった。どこもかしこも鍵がかけられているんだって。壊したら何故かバレて、請求書が親に送られる。
でもここはいつだって開いている。まあ、そう言い切れるほど来たことはないけれど。僕が知る限り、先生が常にいて、いないのはトイレとか自販機行ってるときだけ。だからすぐ戻ってくるんだけど…
「……」
『ガラガラッ』
諦めて教室に戻ろうかと一歩下がったとき、突然視界が開けた。
「、」
「つぐみ」
そこには何故かたった今考えていた人の顔。
自分よりかなり高い位置にある、眠そうな双眼が静かに僕を見下ろして。それはやっぱり不思議な色をしている。その目が少し驚いたように見開かれた。
「どうした、また何かされたのか」
「へ、あ…えっと…」
え、どうしよう、と思っていたら保健室内に引き込まれて、そのままドアも閉められた。ガチャン、と施錠する音も聞こえたけれど、それに意識を向けられないほど近くに、櫂先輩の顔。
「ぐ、具合が…少し良くなくて…」
ああ、そうか、と呟くと、先輩はそのまま僕を抱き上げた。驚きすぎて反応もできないでいると、ふわりとベッドの上へおろされて。寝ろ、と促され、そこに横になる。
「確かに、顔赤いな」
「ひ、ぁ…」
ひやり、先輩の冷たい手が額に押しあてられ、変な声が出てしまった。
「悪い、冷たかったか」
「あ、いえ、気持ち…いいです」
額から頬へ、撫でてくれたその手に擦り寄り、そっと瞼をおろした。余計に顔は熱くなってしまった気がするけれど、この冷たさは気持ちが良い。と、感じたのも束の間。その手はするりと離れていってしまい、先輩はベッドを囲うカーテンをしめ、その向こうへ行ってしまった。
その行為に、“気まぐれ”という関谷くんの声がよみがえる。これも気まぐれ…いや、だからといってショックをうけることじゃない。そう、なのに…悲しい、なんて…
「つぐみ、でこ…」
じわりと視界が滲んだ瞬間、もう一度先輩の顔が見えて。思わず枕に顔面を押し付けてしまった。
「つぐみ?おでこ。出して」
ベッドが軋み、すぐ近くに先輩の体温があるのが分かる。きっと、今顔真っ赤だから…見られたら恥ずかしい。それでも、優しく頭を撫でられ、ゆっくりと顔をそちらへ向ける。
「冷えピタ貼ってやるから」
「……ありがとう、ございます…」
大きな手が前髪を横に流し、その手よりも冷たいシートが貼られる。滲んだ涙を、眠いんだという風に擦って誤魔化すと、先輩はまた頭を撫でてくれた。
「せんぱ…」
「ん?」
片手で毛布をかけ直すと、今度は胸辺りをとんとんと柔らかく叩いてくれる先輩。まるで小さい子をあやすような行動だけれど、すごくすごく心地よくて。
胸を叩くその手に自分の両手を重ね、きゅっと握りしめた。
「先輩、ありがとう」
具合が悪いなんて嘘なのに、なんだか本当に熱があるみたいだ。顔だけじゃなくて、身体中ぽかぽかしてきて瞼が重い。目を閉じようとしたら、先輩がそっと手を引いて、離れていこうとした。なんだかそれが嫌で、もう一度ぎゅっと握り直せば、小さな小さなため息が聞こえて。
「、ごめんなさ…」
慌てて手を離したら、体ごと引き寄せられてしまった。 この小さなシングルベッドじゃ先輩一人でも窮屈だろうに、今はその窮屈なそこで…
「あ、の…せんぱ」
「俺も寝る」
密着した体がさらに温度をあげて、しっかりと抱き締められているということに頭が混乱する。広い胸は僕をすっぽり包み込んでいて、先輩の心臓の音が聞こえた。とくん、とくん、と。でも、それよりはるかに早い自分の鼓動。
「か、い…せ」
ああ、ダメだ。
ドキドキしすぎて、心臓が壊れてしまいそうだ。
きっとこれは…
「落ちたという現実」
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