「高梨と、何かあった?」
「へ…」
「雰囲気変わったなって」
「あ…えっと」
「大人にしてもらったの?」
それから、無知
何かの書類の回収のために一年生の教室を回っていたらしい副会長が、にやりと口角を上げた。「テストお疲れさま」と、爽やかな挨拶の次がそれだ。
こんな、廊下で、なんてことを聞くのか。
大人にしてもらった、とは。つまり、そういうことで。
理解した途端顔が熱くなるのを感じた。そのま俯くと、紙の束を使って耳打ちをしてきたその人は「大人っぽくなった」と、更に言葉を残した。
「僕、人のそういうの興味ないんだけど聞いてもいい?」
「はい?」
「どうだった」
「え、どっ…?えっと、」
「気持ち良かった?」
ぼっと、音が聞こえそうなくらいさらに顔に熱が集まった。そりゃ気持ち良かったけど、そういうのって人に話すものなんだろうか…
「高梨ああ見えて優しそうだよね」
「櫂先輩は、いつも優しいです」
「痛くなかった?」
「…痛いことはされてません」
「……あー、なるほどね、そっか」
「?」
「いや、なんでもない。一つ、高梨に悦んでもらえる方法教えてあげる」
今度は口を直接僕の耳元へ寄せ、副会長は衝撃的なことを囁いた。
「頑張って。ほら、もう冬休みだし、実践してみなよ。ああ、でも、高梨以外の人に相談はしない方が良いよ。じゃあ、また」
「へっ、あの、ふく…」
「良い報告待ってる」
線の細い背中は、けれど僕より男っぽくて、姿勢良く歩く姿は目をひく。ただ、今そんな副会長から目が逸らせないのは決してみとれているからではない。
「どうしよう…」
ここ何日かでの何度目かの呟きは、誰に届くこともないまま宙に消えた。関谷くんの耳にさえ届かなかったらしく、それで良かったのか良くなかったのかは微妙なところだけれど。少なくとも副会長の言葉を関谷くんに復唱する勇気はない。結局一人悶々と考えたまま、ついに冬休みに入った。
「……櫂先輩」
「呼んだ?」
「っ!?えっ、なん…うわあっ」
「おい、」
後ろから聞こえた声に驚いて驚いて振り向くと、意外と近くにその体があって。反射的に一歩後退してしまった。そのときテーブルの足に踵を引っ掻けて、勢い良く尻餅をついた。
「痛い…」
「ほら、怪我は?」
「無いです、すみません」
「あーほら、ちゃんとズボン押さえろ」
「わっ、あ、はい」
終業式のあとそのままうちに来てくれた櫂先輩は、二人しかいない家の中でも僕のズボンを気遣ってくれた。両手を引っ張られ立ち上がると、そのままきゅっと抱き寄せられて。僕の体は素直にその背中へ腕をまわした。
「櫂先輩」
「ん」
「えーっと、あっお昼ごはん、昨日のカレーの残りでよければ食べませんか」
「ああ、ありがと」
「あっためますね」
無理矢理思い付いたことを口にしてキッチンへいくと、背後で「つぐみがカレー作ったのかあ」と感慨深そうに呟く声が聞こえた。確かに、全く自炊できないことを知っている先輩からしてみたら、ほとんど奇跡みたいなことだと思うのかもしれない。
「実は昨日母さんと作ったんです」
昨日は久しぶりにゆっくり家で一緒に食事をとったのだ。その時僕なりに覚えようと思って一緒にキッチンきたったのだけど、まあもう一度一人で全部やれと言われて出来る自信はないけれど。
「だから味は大丈夫です」
「そうか」
「良かったな」と、すごくすごく柔らかく言われて、背中を向けていてよかったなと思うほど顔がにやけるのが分かった。
そのカレーが昨晩より美味しく感じたのは、一晩寝かせたおかげだけじゃなくて、きっと櫂先輩が美味しいと言って一緒に食べてくれたからだ。
『ピンポーン』
「はーい」
「宅急便です」
後片付けを済ませたところでやってきたそれを受けとると、送り主のところには“糸井聡”と父さんの名前が書かれていた。相当な大きさの段ボールを二つ、そうだった、父さんの悪い癖だと思いながら一つづつリビングへ運ぼうとすると、櫂先輩が慌てて手伝ってくれた。
「親父さんか。すげー荷物」
「いえ、荷物じゃなくて、たぶんお土産です」
「は?」
「これ全部?」と言いたげな顔をした先輩から目を逸らし、段ボールを開けると予想通りその中には明らかにお土産で。
「父さん、今オーストラリアにいるんです」
「ああ、そう」
「いろんなところ行ってるから、うちにも…というか日本に居ないことも多くて」
「すげーな」
だから学校からの連絡がつかないのだ。
「僕も、ここに来る前は一緒に付いていったりしてたんですけど、母さんがこっちでしばらく過ごすって言うから、ここに」
そういえば、この話してなかったかもと思って視線を櫂先輩に向けると、「ふーん」と、驚いたような顔をしていて、思わず笑ってしまった。
「あっ、このTシャツ可愛い」
「いやでかいだろ」
「たぶん、櫂先輩のです」
「俺?」
カンガルーの親子がプリントされたTシャツを広げて櫂先輩の肩に合わせると、思った通りぴったりだった。
「たまにテレビ電話するんですけど、その時に大きい先輩と仲良くなったよって話したから、たぶん」
「フレンドリーな親父さんだな」
そうなんだろうか。あんまり分からないけれどと返しながら中身を順番に見ていくと、衣料品がほとんどで、あとは読めない英語の本や写真集が数冊、あとはよく分からないおもちゃやお菓子だった。
「こんなに送ってくるってことは、近いうち帰ってくるのか」
「いえ、父さんの癖なんです。こうやってたくさん送るの。それに、たぶん今年は一緒にクリスマスを過ごせないから、間に合うようにいつもよりたくさん送ってくれたのかも」
「そうか」
そういえば、去年まではクリスマスを家族三人で過ごしていた。今年は絶対的に父さんには会えないし、母さんも仕事だろう。日本はクリスチャンが少ないし、何より、クリスマスだから仕事を休むという人はそんなにいないだろう。
「もう高校生だから、平気なのに」
ふわふわのコアラのぬいぐるみをテレビの横に飾ると、冷たいリビングの空気が少し和らいだ気がした。それをぼんやり見つめていたら、不意に頭を撫でられた。櫂先輩の、大きな手で。
「本当ですよ」
「疑ってない」
「……でも、この慣れない家に、ずっと一人でいるのは少し寂しいです」
「そう」
柔らかく撫でてくれる手に引き寄せられるように、自然と体が櫂先輩に傾いた。肩口にこめかみを押し付けて下から先輩の顔を見上げると、耳の下あたりにほんのり赤い痕が目に留まった。最近付けられるようになったキスマークだ。
「……」
でも、全然持続力はない。
これも、昨日抱きついた時にこっそり付けたもので、もうすぐに消えてしまいそうだ。そんな危うい痕を指でそっとなぞると、くすぐったそうに髪が揺れた。ああ、今なら、聞けるかもしれない。副会長に言われたこと。
「……櫂先輩」
でも、聞くべきなんだろうか…
「なに?」
そっと櫂先輩から離れ、「座ってください」とソファーへ促し、僕は座った先輩の足元に正座した。一体なんだと不思議そうに眉を寄せた先輩は、けれど無言で僕を見下ろしている。
「あの、」
「?」
「ふっ……」
見慣れた凄むような目に見つめられ、息が詰まる。それでも意を決し。
「フェラの仕方、教えて下さい」
「危ういマーキング」
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