「欲求不満」

続きのない


「へっ、」

櫂先輩と“お付き合い”なるものを始めてから数日。変わったことと言えば週に2、3回一緒に帰るようになったこと。バイトがなければ少し家に上がっていくこともある。そういうとき、たくさんキスをしてくれるし、ハグもしてくれる。
でも、そうすればするほど櫂先輩が帰ったあと、寂しくてたまらない。そんな矛盾を感じつつも、会えない方が辛いことは分かっている。

そして変わったことはもうひとつ。
あれから副会長とよく会うようになった。

「欲求不満だって、書いてあるよ。顔に」

櫂先輩とのことは、副会長にだけ伝えた。関谷くんには言っていない…いや、本当は言いたいのだけど彼が櫂先輩を良く思っていないことは知ってるし、きっと心配するだろうから、もう少し落ち着いてからきちんと話すつもりだ。だから僕がきちんと伝えたのは副会長だけ。そこからなりなり会長に伝わっていれば話は別だけど。一度聞かれたきり、今のところなりなり会長が僕に何かを言ってくることはない。

「そういう時は少しくらい強引にならないと。抱き締めるときに、背中じゃなくて腰に手を回して、こう、グッと─」

「南條」

副会長が生徒会室に居ないときは、だいたい弓道場で西門先輩とお喋りしている。ちなみに西門先輩は櫂先輩の友達で副会長の恋人らしく、僕と櫂先輩のことを知っている。

「あんまりそういうこと言わない方が良いと思うけど」

「高梨に怒られるから?」

「分かってるならやめとけって」

「分かった。西門がそう言うなら」

副会長と西門先輩は、仲が良い。常に機嫌の悪そうな顔をしている西門先輩は、けれどそんなことはなくて。僕にも普通に優しく声をかけてくれて、何より、二人が一緒にいるとき普段無表情の副会長が少しだけ口元を緩める。きっとすごく、仲良しなんだろう。

二人きりの時がどんな風なのかは知らないけど…副会長がベタベタするようには見えないし、ましてや西門先輩からくっつくのも想像できないけど…それでも醸し出されている雰囲気は、羨ましいと感じる。

「……あの、副会長」

「何?」

「その、西門先輩とバイバイした後って、寂しくならないんですか」

「なるよ」

「副会長でも?」

「なるよ。でも、だからっていつまでも駄々はこねてちゃダメでしょ?だからメリハリ、かな」

意味深に途切れた言葉に、副会長の向こうにいた西門先輩が微妙な顔をした。何か言いたげな、けれど言うことを躊躇う顔。結局考え直したように軽く頭を振り、的に刺さった矢を抜く為に僕らから離れた。

「でも、糸井は高梨に素直に言えばいいよ」

「でも…」

「その方がずっと、上手くいく」

そんな妙な言い回しに、副会長と西門先輩の関係は僕が考えているよりずっと深いのかもしれないと思った。ただ、あんまり深く聞くことも出来なくて、僕は曖昧に目を逸らして俯いた。

「ほら、お迎えだよ」

「…」

とん、と撫でるように後頭部を叩かれ、入り口の方を見ると見慣れた大きな体が、だるそうにドアにもたれて佇んでいた。

「慧悟」

「おー、噂をすれば」

「は?」

「こっちの話。早く糸井連れて帰った方がいいよ」

「はあ?まあ帰るけど」

雪が降っているから外で待つなと言われ、でももう靴を履き替えていたし、校内に戻るのも気分じゃなくて。ここにこれば副会長いるだろうなと、そんな流れで足を運んだ僕を、櫂先輩は少し不機嫌そうに見た。

「つぐみ」

「ほら、甘えてきな」

「、はい」

「気をつけてね」

「ありがとうございました。さようなら」

「またね」

冷たい床を靴下越しに感じつつ、櫂先輩の元へ小走りで近づくと、背後で西門先輩が弓をひく音がした。二人に会釈をしようと振り向くと、副会長は真剣な顔で弓をひく西門先輩をじっと見つめていて。僕のことは見えていなさそうだったからそのまま帰ることにした。

「どうした」

「あ、なんでもないです」

「そ。ほら、乗って」

「お願いします」

校門を出たところで引いていた自転車に乗せてもらい、帰路に着いた。広い背中におでこをくっつけて、お腹にまわした腕に力を込めると温かくて何だか泣きたくなった。

そのまま僕の家に着くまでの数分間、櫂先輩は特に何も喋らなかった。このまま帰ってしまうのかと、本当に泣きそうになったのと、自転車がいつも止まる位置で止まらなかったことに気づいたのは同時だった。

「え、あの」

「うち、来る?」

「へ…あ、はい、行きたいです」

カレーライスをご馳走になって以来、先輩のおうちには行っていない。あの一度きり。どうしたのだろうと思いながらも、それよりもドキドキと胸が高鳴るのを感じた。櫂先輩のお母さんにも、有くんにも、また会えるのは嬉しいし、何より櫂先輩の家、ということ自体がもう嬉しい。
勝手に感傷的になっていたはずなのに、なんて現金な、と、ちょっと情けなくて笑えてしまった。

「お邪魔します…」

「どーぞ。有ー?」

「あ、にーちゃんお帰り!あ、つぐみくん!いらっしゃい」

「お邪魔します」

「お前何時に出掛けんの」

「もう行く」

「あっそう。気を付けて行けよ」

「おう。行ってきまーす」

リビングに入るなり入れ違いで出掛けていった有くんは、相変わらずジャージに大きなスポーツバッグを肩からかけていた。それを口にしようとしたら、不意に腕を掴まれて、そのまま引っ張られるまま櫂先輩の部屋に連れ込まれた。

「あの、櫂先輩?」

「おいで」

抑揚のない声が、けれど柔らかく僕の体を引き寄せた。

「っ、えっと…」

「また南條になんか言われた?」

「いえ、何も…」

「そ」

先輩に引き寄せられてその隣に腰を下ろすと、ソファーは窮屈そうに軋んだ。

「……少し、お話ししてただけです」

櫂先輩はもう一度「そう」と呟くと、一瞬僕を見て、すぐに逸らした。ズボンのポケットで携帯が震えたらしい。

「……」

「出ないんですか」

「あー、いいや」

ぽい、っとローテーブルに投げ出された携帯は、番号だけを表示していて、誰からの着信なのかは分からなかった。けれどその数秒後、今度は別の番号…ちゃんと“野々宮”と登録された番号…から電話がかかってきた。

「……出なくていいんですか?」

「……」

なかなか切れないそれは、切れたと思ったらまたすぐ着信を知らせる。櫂先輩はそれにうんざりしたように盛大なため息をついてから、開口一番「なんだよ」と不機嫌な声を出した。

「はー、だから無理って─」

「……」

「野々宮も迷惑。次かけてきたら着信拒否する」

面白くない、とまで思ったわけではないけれど。電話越しの声が聞こえない分、変に気になってしまって座る距離を詰めた。それに気付いたらしい櫂先輩は、猫でも撫でるみたいに僕の頭をやわやわと触った。

「は?あー、そう」

それが気持ち良いってこと、櫂先輩は知っているんだろうか。知らないだろうな。知らないと良いな。誰にもされたことがないと良いなと、手をのばした。

「、」

触れた瞬間、僕の頭を撫でていた手が止まり、ぐっと後頭部を押された。

「?」

「とにかくさあ、返事くらいしてあげなって」

かなり顔が近くなったせいで、電話の声が聞こえてしまった。怒ったような声は、紛れもなく女の子のもので、けれど櫂先輩は全然隠す素振りもなく「だからうざい」と返した。

形の良い喉仏が上下するのを見つめながら、もう一度頭を撫でて、その喉に唇を押し付けた。

「そんなこと言わないでさ、ね」

ちゅっちゅっと、いつも先輩がするみたいにしても、上手く音は出なかった。それでも僅かな音が電話越しに聞こえたのか「誰かいるの?」という怪訝そうな声が僕の耳にも届いた。

「取り込み中」

ぱちりと視線がぶつかり、その途端心臓が大袈裟に跳ねた。鋭い視線に怒らせたかもしれないという不安と、目が離せないほどの威圧感。取り込み中、と言って再び机に投げ出された携帯は、もう立ち上がらないと手の届かない位置まで滑っていってしまった。

「かいせんぱ…」

「これも南條?」

「へ?あ、何がですか?」

腕を掴まれそのまま倒されるとソファーへ縫い付けられてしまい、もうどうにも逃れられそうになくなった。

「……何でもない」

「ごめんなさい、邪魔して」

「なんで邪魔したの」と、そう言いたげに少し意地悪く口角をあげた先輩は、また顔を近づけてギリギリ唇が触れないところで止まった。ずるい。こうされる度、僕はキスをせがんでしまうし、焦らされて焦らされて、そのせいで一度触れるとなかなか離せなくなる。
それを分かっていてそのうえで楽しんでいるのか知らないけど、とにかく櫂先輩は最近よくこれをする。

「んあ、手……櫂先輩」

「なに」

「はなし、てほし」

そう言うと、ゆっくり、手首を掴んでいた手が離れて。自由になった自分のそれを先輩の背中にまわした。すると、予想外なことにいつもは僕が「キスしたい」と言うまで焦らすキスを、櫂先輩からしてきた。

「っ、ん……え、あっんん、んっ、はあ」

全然、戯れるようなキスじゃない。息をするのに必死になっていると、不意に副会長の“抱き締めるときに、背中じゃなくて腰に手を回して、こう、グッと─”と言う声が脳裏を過った。あやふやな視界で櫂先輩を見上げるけれど、表情は分からない。僕は背中にまわしていた手を背骨をなぞりながら腰へ移動させ、力を込めた。

「っ、」

瞬間、むにゅっともごりっともとれる感触。失敗した、そう思った時にはもう遅く、櫂先輩の手が僕の足の間を撫でた。

「勃ってる」

「やっ、ごめんなさ…だめ、かい─」

バレた。勃ってしまうのもいつものことだけど、なんとかバレないようにしてきたのに。いや、隠すべきなのかどうかも分からないのだけれど、知られるのはどうしても恥ずかしかったのだ。
そんな僕のことなどお構いなしに、櫂先輩は簡単にズボンを剥ぎ取ってしまった。

「み、見ないで…くださ…」

「なんで」

「なっ……んでって…やっ、櫂先輩……ふうっ、」

「ほら、パンツ汚れるぞ」

「やっ、や…う、」

キスだけでこんなになってしまう僕をどう思ったのか分からないけど、パンツまでおろされてひやりとした感覚に僕は泣きたくなった。

「かい先輩、」

大きな手が、ゆっくりゆっくり内腿を撫で、ひくひくと勃ちあがっていた僕のモノを掠めた。

「ひ、うっ…櫂先輩、」

「つぐみ、目」

思いきり閉じていた瞼にふにゃりと櫂先輩の唇が触れ、促されるように目を開くと間近にその顔はあって。柔らかいキスがおでこに頬に瞼に、落とされた。その一つ一つが、緊張をほどいていくみたいだった。

「櫂先輩、」


「愛の囁き」





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