「ただいまー」

じわじわ、ことこと、シュー。
夏が終わって鍋を煮込む音が心地よくなった。蒸気穴から吹き出る白い湯気を視線で追いながら、蓋を開けた瞬間の幸福に満ちた匂いも。寒くなるほど憂鬱だった頃はもう遠く、けれど今でも寒さは苦手だ。ただ、温かい部屋で、温かいごはんをりんちゃんと食べるだけで冷えていた体が芯からじわりと熱を帯びることを知ったから。ぽかぽかするこの感覚がたまらなく好きで、冷えないようにと体を温めてくれるメニューを考えるこの季節も好きになった。
穏やかに、緩やかに、りんちゃんとの生活は俺の心と体に沁みて、でも、部屋に入って聞こえる「おかえり」にはまだ、泣きそうになる。

「うう〜寒かったあ」

「今夜は冷えるね〜。ご飯食べれそう?」

「うん、ぺこぺこ。…うわ、すごい!!ハロウィンディナーだ!」

「ハロウィンだからね」

「トリックオアトリート!」

「そう、トリックオアトリート」

坊っちゃんかぼちゃのまるごとグラタンに、パプリカと紫キャベツにミックスビーンズの乗ったカラフルなサラダ、どことなくグロテスクなソーセージ、たっぷりのかぼちゃで作った甘いパンプキンパイ、十月末日、ハロウィンメニューが並んだテーブルを見下ろして、自分もお店で作ってきたお化け型のおにぎりとかぼちゃプリンを保存容器から取り出す。
俺の帰りが遅いことを分かっていて、それでもごはんを一緒に食べようと待っていてくれたのだ。「あと野菜スープ温めるね」と、コンロの前に立つりんちゃんの隣へ行き腰を抱く。

「危ないよ」

「うん、美味しそう」

ハロウィンって何、ハロウィンだから何、なんて、もうずっと思っていない。普通の日とは少し違う、それだけで良い。それだけでじゃあ少し豪華なご飯にしようと、二人でわくわく出来るなら。
器に落とされた野菜のごろごろ入ったスープを二人分運び、向かい合って椅子に座ると感じていた空腹度が増して箸を持つより先にお腹がぐうぐう音をたてた。
時間はすぐに日付を跨いでしまい、ハロウィンは終わってしまったけれどゆっくり話をしながらほんの少しお酒を飲んで、一緒にお風呂に浸かりデザートは明日食べようと布団に入った。

「あ〜グラタン美味しかった」

「ほんと?良かった」

「ハロウィンって感じ。あ、駅前もねすごかったよ、仮装した人たくさん居て」

「ハロウィンだ」

「次はクリスマスかな」

「その前に遥の誕生日だよ」

「あっ、そっか、へへ、そうだ」

照明をおとしたベッドの中、りんちゃんの吐息が首筋にかかる。

「じゃあトリックオアトリートは無しでいいや」

「ん?」

「ううん、トリックオアトリートと誕生日両方は欲張りかなって」

「あはは、全然欲張りじゃないよ」

「本当に〜?」

「本当に」

「じゃあトリックオアトリートって言っても良い?」

「いいけど、お菓子持ってないよ、今─」

りんの頭の下に差し込んでいた腕でその体を抱き寄せ、距離を詰めて顔を近付けると長い睫毛を纏った目がとろりと垂れた。

「知ってる」

唇を合わせるキスを数回落とし反応を確かめようとした俺の首に、りんちゃんの腕が巻きついた。布団から出すと少し寒いのか、きゅっと絞められてそのまま布団の中へと頭が誘い込まれた。暗くて表情は見えないけれど、温度の上がった唇がやわやわと押し付けられる。その体温で合意されたことを悟る。

「いいの?」

「少し、なら」

「少し、ね…」

少しは無理だな、と喉まで来ていた言葉を飲み込んで触れてすぐに離れていくりんの唇を捕まえた。柔らかい唇、滑らかな肌、傷みを知らない艶やかな髪、硬い腕と胸板、学生の頃よりしっかりした腰、指先で知っていることを確かめながら触れた体は、ちゃんと俺が知っている気持ちいいところで反応をしてくれる。
いつも、何度しても、恥ずかしさから声を出したがらない意地らしさも、じっくりじっくり暴かれて焦れったさに涙を滲ませるのも、好きでたまらないとぶつかる俺をしっかり抱き止めてくれるのも、りんちゃんだからこんなに胸が苦しいのだろう。好きと幸せが自分の体と心だけでは足りなくて、溢れてしまって、たまに生まれる寂しさや不安も簡単に包んでしまうのだ。
絡ませた指先がしっとり汗ばむほどの体温を、俺はもう知らないことには出来ない。

「今日、子供たちが」

「え、うん?」

「ハロウィンメニューだ、って、すごく喜んでて」

「うん」

「すごく、嬉しかったんだ、美味しい美味しいって食べてくれて」

「へへ、想像つくな〜その時のりんの顔」

「なんかやだな、それは」

「見たかったけどね」

「……嬉しかったけど、遥が喜んでくれたのもすっごく嬉しかった。ほら、今までまおと母さんの二人だったのが、たくさんの子供と、それから遥に人数が増えて、こんなに幸せなことあるんだな、って」

「りん」

「ん?」

「トリックオアトリート」

「ええ?お菓子持ってな─」

「今はね、俺と二人なんだよ。そういう俺以外の事はパイとプリン食べながら明日聞くから、今は、俺の事だけにして」

「ふふ、ごめん、遥の事しか考えてないよ。ただ、ちょっと、溢れちゃった」

何が、とは言わないでキスの続きをせがんだ俺に、りんの唇が触れた。トリックオアトリートなんて大人には戯言で、でも、都合の良い合言葉にも思えて、ずっと子供のままなのでは、と思っていた俺も少し位は大人になれた気がした。

冷たい水と乾いた空気、徹底した衛生管理に伴う除菌で荒れてしまった指先さえ愛しくてたまらない。肌に引っ掛かるピリッとした痛みさえ、俺しか知らないのだと思うともっと与えてくれと思うのだから。

「かぼちゃのパイ、結構自信作だから」

「今食べようかな」

「明日にしよう」

「明日、」

「うん、明日」

翌朝、秋から冬へ移ろったのでは、と思えるほど冷えた部屋で目を覚ますと、少し開いていた寝室のドアの隙間からパイの良い匂いが漂ってきていた。昨日も今日も明後日も、俺はこんな風にりんちゃんが好きでたまらないと思い知らされて朝を迎えるのだろう。また来年の夏を、トリックオアトリートを、誕生日のおめでとうとお正月を、全部全部まるごと全部。

「おはよう」

「トリックオアトリート!」

「ハロウィンは終わりました」

「え〜?でもお菓子はあるよ」

「コーヒーいれるから食べようか」

「うん!」

寒さの中でともる暖かさ、 十一月の始まり。




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