「りんちゃんの馬鹿ぁ!」
「ば、馬鹿って…」
「だってりんちゃん全然分かってないじゃん」
「分かってないって何が?」
「全部!なんでそんなに気楽なの?俺ばっかりいろんな事心配してさ…馬鹿みたい…」
遥の大きな声を聞いたのは随分久しぶりだった。
「遥が嫌って言うなら僕は行かないよ」
「そういうことじゃない」
高校を卒業して、僕は短大に通い遥は仕事をする日々。それぞれの生活があって、どうしても会えない日が続いて、それでも少しでも会いたいからと短い会瀬を繰り返す中のことだった。
もうすぐ夏休みに入る。夏休みになれば遥ともっと会えるようになる。そんな期待をしながら話をしていた。はずなのに…どうして遥を怒らせてしまったのか…
事の発端は僕が口にした「友達に誘われて夏休み旅行に行くことになった」だろう。でも、始めのうちは少しも怒っていなかったし、楽しんできてねと笑ってくれていた。突然怒りだした、というわけではないけれど、こんなにも遥を不愉快にさせることを自分は言ってしまったのかと唇を噛んだ。
「りんちゃん」
「……」
「大きい声出してごめん…俺、今日はもう帰るね」
「え、あ…遥、待って」
「これ以上嫌なこと、りんに言いたくないから…」
「待って、遥!」
「、りん─」
「僕が先に遥に怒らせるようなこと言ったんでしょ、だったら遥に嫌なこと言われたって仕方ないよ。言いたいことあるならちゃんと言って 」
これまで生きてきた中で誰かと喧嘩したこと自体少なく、それこそまおに注意するために少し強い口調にするくらいしかない。でもそれも、“喧嘩”というほどではない。
遥と樹くんの言い合いは今まで何度も見てきたものの、あれは喧嘩というよりじゃれあっている感じだし…経験に乏しい僕には喧嘩の仕方も分からないのだ。
「りんちゃんが悪いんじゃないよ」
「でも遥怒ってる」
「それ、は…」
「うん、」
「りんがちょっと自覚なさすぎるから」
「自覚…なんの?」
「だからっ…」
引き留めた腕から指先を離し、眉を下げて俯いてしまった遥の顔を覗き込む。今だって、喧嘩なんて言葉は使わない程度の事なのかもしれない。でも、僕にとってはとても緊張して、怖くて、申し訳なくて、遥に謝りたくてたまらない気持ちになるものだ。
「その…」
「ん」
「旅行とか、そういうのは、全然…楽しんできてほしいんだけど、その…誘ってくれた子…」
「うん」
「よく話に出てくるし、一回見たこともあるけど…りんのこと好きだから」
「え?誰が?」
「だから、誘ってくれた子!森川さん!!」
顔を赤くして「森川さんがりんのこと」と続けた遥は、怒るというより悲しそうに目を細めて僕を見た。短大で仲良くなったうちの一人である“森川さん”は、確かによく話に出てくるだろう。一度、遥と居るときに偶然会ったこともあり、余計に話しやすいというのもある。
彼女が僕を好きなんて、まさかそんなことはないのに。
「待って、森川さんは友達だよ」
「分かってる!分かってるけど…でも絶対りんちゃんの事好きだよ」
「…いやいや、ない、絶対ない」
「ある!なのに全然構えないから攻められるんだよ!」
そういえば宮木さんの事があったときも同じようなことを言われたな、と思い出した瞬間遥は「もう少し自覚して」と小さな声で呟いた。
あの時も今も、僕にしてみれば僕より遥の方がよっぽど心配な要素があるのに、と思わずに入られない言葉だ。本当は「それは遥の方」と言いたいところだけど、今言ってしまったらお互いにもっと嫌な気持ちになる気がして飲み込むことにした。