お店を開いた。
お世辞にも広いとは言えないけれど、カウンターやテーブル、食器にインテリア、完成したお店に“凛”と名前をつけたらもうこれ以上ないほどの宝物になった。なんとかお店を回し、自分が生活するだけの利益も得られるようになって、一人で住むには少し広かった部屋にやっとりんちゃんを呼ぶ勇気がわいた。

樹の店で花束を買い、夜の営業が終わる頃会う約束をしていたりんちゃんがやってきた。りんにとってはせっかくの休日で、明日からまた一週間仕事だというのに呼び出してしまって申し訳ない。けれど、お互いに仕事をしていて休みも合わないとなかなか顔もあわせられない。ごめんねと、繰り返してしまう俺に、りんちゃんは「遥の顔見れたし明日からも頑張れそう」と笑い、お店の片付けを手伝ってくれた。

「手伝わせちゃってごめんね、ありがとう」

「ううん、二人でやった方が早いでしょ」

戸締まりをして店を出ると十一時を回っていた。まだ夜は冷えるねと上着の前を閉めたりんを横目に、アパートまでの少しの道のりをゆっくり歩いた。
特別今日でなければいけないとか、今日は何かの記念日だからとか、そういう理由はひとつもなくて。本当はたくさんたくさん練って、完璧なことをしたい気持ちもある。けれどそんなことを考える余裕もなく、隣で笑ってくれている今、どうしても伝えたい。

玄関で靴を脱ぎ、まだ殺風景な部屋のリビングへりんちゃんを通す。冷蔵庫にはケーキ、寝室には花束。指輪は二人で選びたくてまだ決めていない。ソファーに座ったのを確認して、着替えてくると声をかけて寝室へ。用意していたスーツに着替え、滅多にすることのないネクタイを絞める。

クローゼットの中の小さな鏡で襟を整えて、花束を背中に隠して。寝室のドアに手をかけて、ドキドキと煩く脈打つ心臓から意識を逸らすために深呼吸をして。

「はー……」

僅かに震えた息が足元に落ちる。

「りん、」

「うん?」

ソファーからこっちを振り返ったりんは俺の格好に目を大きくして立ち上がった。目立つ顔立ち、というわけではないと樹は言うけれど、そうだろうか。俺からしてみれば長い睫毛も笑うとくしゃりとなる目元も好きだし、形の良い唇も可愛いと思う。
その顔が驚きに目をぱちくりさせて、口を半開きにして、それだって可愛い。

「え、あ…遥?」

「りんに、大事な話があるんだ」

「な、なに…えっ、待って、あの…」

一歩近づくと待って、と両手が俺に向けられた。背中に隠した花束がガサリと音をたてて、もう見えているだろうかと一瞬恥ずかしくなったものの、そのままりんちゃんに近付く。

「りん、たろう…」

「は、はい…」

「…えっと…」

「……」

じんわりと、内側からの熱で赤く染まった頬が可愛い。きっと自分も同じくらい真っ赤だろうけれど。全身が心臓になったみたいに、頭の中からも指先からもどくどく音がする。意を決して、気持ちをたくさん込めた花束を前に出すと、ラッピングのビニールが自分の震えでカサカサと音を出した。

「俺と…」

お洒落なレストランで、夜景を見ながら、それも考えた。でも、背伸びした場所ではなく、ここで一緒に暮らしてほしいという気持ちと、他の誰にも見られない二人きりの空間がいいという自分の意思で、この部屋に招いた。
その選んだ空間は、自分の心臓の音と花束の小さな震えの音に飲み込まれてしまっている。気持ちが溢れて、ぽろりと言えたはずの言葉が、その意味と重さを理解した今、とても勇気の必要なものになっている。

情けなく震えた声で、それでもぐっと耐えて、やっと言った言葉だった。

「俺と、家族になってください」

「……」

不恰好に頭を下げて花を出した俺に、りんちゃんはどんな顔をしていたんだろう。見ておけば良かった。ひゅ、と息を飲むのは聞こえたけれど、すぐに自分の鼓動にかき消されてしまった。



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