「りんちゃーん」
「おかえ…うわっ、どうしたの」
夏休みだから、そう思うだけで少し夜更かししてしまう日が数日続いていた。
その日はまおを寝かしつけてからリビングに戻り、特に何をするでもなくテレビをつけた。課題は昼間に志乃と少しずつ進めているからやる必要はないし、本を読む気分でもない、ただ疲れないから眠くならない、少し起きていようというだけの、夜更かし。その途中で母さんが、上機嫌で帰ってきた。
休みに入ると、こうして母さんと顔を合わせる機会が増える。話す時間も出来るし、それは友達のいない僕にとってすごく嬉しいことだった。長期の休みとなると、本当に人に会うこと自体が減るから。
「聞いて聞いて、あのね、今度の日曜日お休み取れたの!」
「日曜日…まおの、遠足の日?」
「そうよ〜」
「ほんとに?まお喜ぶね」
「ままが遠足付き添うから、りんちゃんは一日お出かけしてきていいのよ!」
「へ?僕と母さんで行けばまおも─」
「りんちゃんに予定がないならもちろんそうしたいけど、でもせっかく夏休みなんだから、お友達と遊んでおいで」
「母さん、」
「ね?」なんて、かわいらしい顔で首を傾けられては迷ってしまう。もちろん、二人でまおの遠足に付き添う必要はないし、でも三人で動物園…確か、晴れたら動物園で、雨だったら水族館…行けるのは僕も嬉しいし楽しみだ。でも母さんがそうやって気を遣ってくれる意味も分かってしまう年頃になった僕には、それが素直に頷くことが正解だっていうのも分かってしまうわけで。
「…ありがとう、でも、予定…入らなかった ら一緒に行かせてね」
「うん、そしたら三人で行こうね。あ、お盆もね、二日間だけお休み取れたから、今年もおばあちゃんち行こうね」
「うん」
「あっ!今日のポテトサラダなんだかいつもと違うね」
「わかる?少しね、隠し味入れたんだ」
「なに〜?なんだろう」
志乃のおばあちゃんに教えてもらった、とは言わないでおいた。
「はちみつ?あ、ヨーグルト?」
「秘密」
そう、秘密。そう答えてから「食器そのままでいいよ。お風呂入ってきて、明日も早いんでしょ?」と問えば、すごく申し訳なさそうに頷いた母さん。そんなの全然いいのにと思いながら浴室へと促した。
母さんが脱衣所のカーテンを閉めた瞬間に、小さな声で「ありがとう、りんちゃん」と聞こえた気がしたけれど、それには気づかないふりをしてキッチンに戻った。
次の日、まおに遠足のことを話したらそれはもうご機嫌で。
まおも母さんもいない一日を好きに過ごしてと言われて思い浮かんだのは志乃だった。志乃しか浮かばなくて、でも僕は上手に誘うことなんてできないし、自信もない。そうやって少し憂鬱になっていたのに…
「日曜日?暇!暇だよ!!」
「……」
「まおね、ままと遠足行くからねー、りんちゃんひとりなの」
「えっ!?」
「でもりんちゃん寂しいかな、さんにんがいいよね?」
上機嫌なまおさんはいつも通りやってきた志乃に満面の笑みでそう言っていた。おかげというかなんというか、志乃はキラキラした顔で僕の両手を取って「デートしよう」と言ってくれた。
「はるちゃんずるい〜」
「でもまおちゃん、ままと遠足行っちゃうんでしょう?」
「行くよ〜!」
抱いていた杞憂が消えたことはありがたかったけれど、一つものすごく悲しいのは、まおがかあさんと遠足に行けることを楽しみにしすぎて、僕をほったらかしてることだ。
「じゃありん、日曜日、海行こう。晴れるかなあ?晴れるよね!」
「はれるよ!お天気のおねえさん言ってたもん」
「ほんと?晴れたらまおちゃんたちは動物園だね」
「うん!」
それでも夏の日差しに負けないくらいキラキラしている二人に、自然と顔の筋肉が緩んんだ。手を繋いで、笑いながら歩くこの道を、ずっと一緒に歩いていたいな、なんて。思う僕は、けれど志乃について知らないことがまだあるんだ。
「りん?」
「、ん?」
「どうかしたの?」
「なんでもないよ」
「そ?」
「うん。ほら、まお、いってらっしゃい」
「いってきまーす」
「いってらっしゃーい」
玄関にいた ひろみ先生に頭を下げてから、いつも通り二人して音羽家へ戻った。
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