「りんちゃん、ここ、痛いのー?」
「……首元?ううん、痛くないよ?」
「赤いよー?痒いの?」
「……」
「ってことが、昨日あったんだけど、志乃さん」
「……」
まおを保育園へ送り帰宅したところでそう切り出した僕に志、乃はばつの悪そうな顔をした。けれどどこか嬉しそうに僕の押さえた首元を覗き込む。
「こんなところ、まおちゃんに見えないのに?」
「お風呂で」
「お風呂!?ま、まおちゃん、りんとお風呂入ってるの?」
「入ってるけど」
「なんで、ずるい!」
「え、なにが?」
「だ、だって…」
「それより、あの、とりあえずこれ…キ、キスマー…く、」
そう、“キスマーク”。
昨日、まおとお風呂に入ったとき、指をさされて気がついた。昼間、志乃がやたらと顔を近づけてきたり、唇を寄せてきたりしていたのはわかっていた。でも、まさかキスマークをつけられていたなんて言われて鏡で見るまで全然気付かなかった。
ただ、それより何よりこれが俗に言うキスマークなのかと、言葉にして改めて実感して恥ずかしくなったのは言うまでもなく。僕には無縁だったはずのものが今はあるというのも、変な感じで。
「わかった、つけない」
「、うん、お願い」
「だから、お風呂入ろう」
「へ?」
珍しく素直に頷いてくれたと思ったのに。突飛なことを言い出した志乃の目はキラキラと輝いていた。
「ほら、入ろう」
「いや、入らないよ?え、汗かいたの?」
「んーん、りんちゃんと入りたいだけ」
なんだそれは、と呆れた僕の手をぐいぐいと引っ張ってお風呂場へ進む志乃。別に男同士だし、一緒にお風呂に入ろうが特に問題はないけれど、朝っぱらからお湯に浸かるなんて意味が分からない。それにお湯ももったいない。もう洗濯で残り湯を使ってしまったから、沸かし直すわけにもいかない。
「志乃、」
「はーるーかー。はい、ばんざいしてー」
「ちょ、え、入んないよ」
「むー」
「そんな顔してもダメ。僕洗濯物干すから、先に課題始めてて」
「……はーい」
不満顔の志乃を部屋まで引っ張り、僕は洗濯を干すためにベランダへ出た。そんな僕の後ろ、課題やって、と伝えたはずの志乃が何故か本棚からアルバムを引っこ抜く。まあ、まだ時間はたくさんある、最初から詰め込みすぎる必要もないから構わないのだけど。
「りんちゃんなん組だったのー?」
「んー?」
「組!」
「三組」
「さん、さん…あ!いたー」
段々と強くなってきた日差しに、額に汗が滲む。そんな僕の後ろで無邪気に笑う声が、なんだかやたらと心地いい。正直、中学の頃とそんなに変化のない僕を…幼い以外特に変わっていない…見られるのは気恥ずかしい気もしたけれど、それよりやっぱり存在や声が心地いい。
「可愛いー全然変わってない」
「ははっ、ほんと変わってないでしょ」
「ん、変わってない。あの頃のまんま」
「ん?」
「なんでもなーい」
「そういえば遥の部屋にも中学生の時の写真あったね」
「えっ、見たの?」
「頭に包帯巻いて、ガーゼ当ててた」
「片しとけば良かった…」
「なんで?」
「だってー、あんな顔…喧嘩しました、って言ってるみたいなものだし。卒業式の前の日とか、受験の前の日とか、そういうの気にしてたんだよ、一応」
「知ってる」
前そう言ってたのはちゃんと覚えている。
「でもそれより、髪、黒いから一瞬分かんなかった」
「…顔、違って見える?」
「そこまでじゃないよ。ただ、すぐには分からなかったかな。顔もよく見えてないしね。あ、でも樹くんはずっと髪赤いんだね。すぐわかっ─」
「りーん」
「わっ、どうしたの」
ハンガーにかけたまおの小さなTシャツが、背中に与えられた衝撃で手から滑り落ちた。志乃の男らしい腕が、僕の後ろから脇の下を通ってお腹でしっかりと組まれたらしい。ただでさえ暑いのに、外でこんなに密着なんてしたらさらに暑い。そう思いながら、足元に落ちた服を拾い上げ、物干し竿へとかけなおした。
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