「おーとーはぁー」
「……」
「教科書、無くしちゃったから見せて」
新学期が始まって数日、隣の席の志乃は毎日毎時間、そう言って体を寄せてくる。机は最早ぴったりくっ付けられたままで、先生たちも何も言わなくなってしまっていた。
「僕、いいから…使いなよ」
「え、なんで?音羽もないと困るでしょ?一緒に見ようよ」
噂の印象と実際に見た時の印象は、驚くほど違っていた。けれど、こうして絡まれているうちに、更にその印象は変わっていた。なんというか…やたら甘えた声で、擦り寄ってくる猫みたいなのだ。
「…あの、志乃…ちょっと…近くない?」
「え、そうかなあ?」
何が悲しくて、僕は教室と言う面前の場でこんな大男と寄り添って授業を受けなくてはいけないのだ。そのおかげと言うのか、引き換えと言うのか、僕は他の人よりはるかに、志乃遥に生意気な口を利いても許されている。
「音羽小さいから、寒いかなって」
「、っ!!」
ぎゅむっと音をたてながら、僕は彼に抱き締められた。背が低いことをコンプレックスに思っているのに…それを馬鹿にするように言って、それを無視したらこれだ。羨ましくなるような胸板と、悔しいくらい僕をすっぽり抱え込める肩と腕。
「し、志乃っ」
「音羽、良い匂いするね」
「寒くないから、離してっ」
髪の毛に鼻を当ててすんすんと匂いを嗅ぐ志乃の胸を押し退ければ、相変わらず小首をかしげて僕を見た。
「可愛いね、音羽 」
「〜!!」
口元を緩めて、目を細めて、こんなに優しく微笑むこの男のこれは。猫かぶりなのか、僕を馬鹿にしているのか、全く分からない。もっとも、僕に猫を被る必要など、何処にもないと思うけれど。
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