でもこれを出してしまったら、帰りにスーパーに寄れなくなる。一度帰ればいいだけの話だが、これもまた残念なことに行き付けのスーパーがあるのは、この学校の近くで。一度帰って出直すなんて、時間の無駄なのだ。
そんな葛藤をする僕をよそに、志乃遥はガタリと音をたてて隣の席についた。窓際の一番後ろの僕の席、その横に。
そして予想外なことに、志乃遥の目線は僕の手元ではなく、しっかりと僕の顔に向けられていた。
「やっぱ近くで見る方が、いいね」
「……へ?」
志乃遥。
一年前の入学当初から、その存在はいい意味でも悪い意味でもすぐに広まり有名人になっていた。噂によれば不良チームのリーダーか副リーダーだかで、先生はもちろん、先輩でさえ怯えてしまう存在。その男の獲物になってしまった、と思った僕の予想に反した行動をとる、志乃遥。
「担任、誰だろうね」
喧嘩っ早くて、いつも気怠げで朝から学校になんて来ないはずの、学校一の問題児が、僕に満面の笑みを向けている。もちろん、チームのリーダーだとか、喧嘩っ早いなんていうのは噂で聞いただけのことなのだけど。その噂なんて木っ端微塵に吹き飛ばすような、子供のような笑顔が、目の前にあった。
「……えっ、と…」
彼のそれに驚いたのは、どうやら僕だけではなかったらしい。静まり返っていた教室内が、一気にざわめき出した。おそらく彼の取り巻きである柄の悪い連中、彼らでさえも、驚いたに違いない。
つまり彼のこの行動は“異常”なのだろう。
僕が彼みたいな風貌だったならまだしも、僕は絵に描いたような真面目くんだ。銀縁の冴えない眼鏡に、着崩すことの無い制服。真っ黒の髪に、ゲームや携帯も見える場所には出していない。
「……あの、志乃…くん」
「くんとかつけなくていいよ〜。ていうか、“はるか”って呼んで」
「はっ…あ、いや…それはさすがに…」
「そっか、まだお互いのことよく知らないんだし、それは早いかなあ」
変な空気の中、この二年一組の担任らしき男性教諭が入ってきた。見たことはあるが関わったことの無い、人の良さそうな顔をした白髪のおじいちゃん先生だった。
そんな微妙な空気の中、僕の高校二年生の生活が始まった。
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