事の始まりは、この新学期に遡る。
遡ると言っても、新学期が始まったのはほんの数週間前。この、良くも悪くも目立つことのない“普通”の高校で、僕はめでたく二年生に進級した。 まさにその日。
16年間真面目に勉強して、大きな怪我や病気もしないで、道をそれることもなく、死んだ父さんの代わりになれるよう妹と母さんを大切にしてきた。学業と家事をこなし、お天道様に背中向けなきゃならないようなこともしないで、真っ当に生きてきた。なのに…17歳を迎える僕に試練を与えるかのように、それは突然僕の身に降りかかった。
ガラガラと派手に音をたてた教室のドア。その正体に静まり返ったクラスメイト達は、ゆっくりと僕の方に近づくそれから、目を逸らした。
「音羽、凛…太郎…?」
“おとは、りんたろう”
頭上から降ってきたその声は、ゆっくりともう一度、その名前を呼ぶ。
「音羽、凛太郎?」
見上げなくとも、そこにある巨大な恐怖物の予想はつく。けれどこのまま無視しておくのも、恐らく危険で。僕は深呼吸をしてから、机の角に置かれた手を、そしてその腕をたどりながら視線を上げた。
「隣の席なんだね」
「……」
長い前髪の向こうで、形の良い目が三日月型に変わる。
「俺、志乃遥って言うの。よろしくね」
“志乃遥”この学校で、その名前を知らない人間はいないだろう。だって、僕でさえ知っているのだから。彼と最も対極にいるであろう、僕でさえ。
何も言わない僕を見下ろし、彼は首を傾けた。
「具合でも悪い?顔色よくないよ」
他の何でもない、原因は君だ。
そう言いそうになる口を固く噤んで、視線を逸らす。
「音羽、大丈夫?」
教室中からの視線が痛い。好奇の目が向けられ、そして皆悟っているのだろう。16年間真面目を通して生きてきた僕が…
「保健室行く?俺、ついてくよ」
「……大丈夫。お金なら、ここで出す、から…」
“パシリ”にされる、と。
僕の答えに、志乃は更に首を傾けた。見事な金色の、少し長めの髪。それは春の暖かい風に揺らされて、時おり整いすぎた顔を隠す。
志乃遥は、この学校一の、“不良”だ。そして顔がいい。本当に、ひくほど整ったその顔立ちと金色の髪はまさしく絵本の中の“王子様“と言っても過言ではないほど。
僕は素早く、机の横に掛けていたスクールバッグから、味気ない茶色の皮財布を引っ張り出した。けれど残念ながら、そこには千円札が一枚だけ。
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