「りんちゃん、ままの茶色いバッグどこにあるー?そこに大事な書類入れたまま忘れちゃって」

「あ、うん。持ってくるよ」

バタバタと忙しく行ったり来たりする母さんを横目に、指示された彼女のバッグを取りに行く。頭の中にはまだ志乃の顔が浮かんでいて、少しだけモヤモヤした。それがなんなのかは、わからないけれど。

「あー!ありがとう。これこれ、これ今日必要でね、あ、もう行かなきゃ!」

「気を付けてね」

「うん、あ、はるちゃんゆっくりしていってね」

「あ、はい」

「ほら、いってらっしゃい」

「行ってきます」

嵐のように去っていく母を見送ると、志乃はへなへなとその場に座り込んでしまった。律儀に人の母親を見送るなんて、と感心したものの本人は何故かガタガタと震えていて。

「志乃?どうしたの」

「き、き、」

「き?」

「緊張した〜」

「わっ、」

いつもの子供のような顔に戻った志乃は、座ったまま僕の足にしがみついてきて、そのまま僕は豪快に転んでしまった。顔面から倒れた所為で鼻が痛かった。

「ご、ごめん。大丈夫?」

「うん、大丈夫…ではないけど…」

「ごめん、でも…緊張したから…俺、りんのお母さんに失礼なこと言ってなかった?悪いやつに見られなかったかな?嫌われてないかな?」

「え?」

「だ、だって…りんのお母さんだよ?」

そうだけど。友達の母親に、そこまで気を遣うものなんだろうか。確かに、子供の友達が明らかに悪そうなやつだったら、親として心配するだろうけれど…さっきの志乃の態度ならその金髪のマイナスイメージを挽回できるくらいには、立派な対応だったと思う。

「全然良かったから。むしろ好印象だったと思うよ」

「ほんと…?」

「本当」

そもそも、僕が友達を家にあげている、という時点で母さんは少なからず喜んだと思うし。まあ、志乃の場合はまおが母さんと顔をあわせるたび、そりゃもう満面の笑みで話をするから、会ったこともないのに大好きだったし。

「良かった〜…」

「僕の母さんだよ?そんなに気遣う必要ないよ」

「だめ、だめだめだめ。絶対だめ!」

「どうして」

「……どうしても」

「?」

口を尖らせて目を逸らした志乃はのそりと立ち上がり、床に倒れたままの僕を起こして抱き付いてきた。まさかさっきの続きだろうかと身構えたけれど、どうやらただ抱き付いてきただけだったらしい。ぎゅーっと思い切り抱き締められただけで、その腕からはすぐに解放された。

「もう、まおちゃん迎えに行く?」

「へ?あ…そうだね、早めに出て、先に買い物済ませちゃおうかな」

「分かった」

満足したのか、志乃は僕が出掛ける準備をするのを大人しく待ってくれた。

「志乃、行く?」

「行く」

「ん、じゃあ傘だけ持っていって」

戸締まりをして家を出ると、ポツポツと雨が降りだしたところだった。志乃には僕の傘を、僕はまおと予備の傘をもって歩き出した。



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