そんな梅雨の真っ盛り。

「あ、音羽、ちょっと」

担任の先生に呼び止められて、なんだか嫌な予感がしつつも顔を上げた。志乃がトイレに行った隙に話しかけてくる時点で、怪しすぎる。まあ、何についての話でも、隣に志乃が居ては話しかけずらいのかもしれないけれど。

「はい」

「中間テストのことなんだけど」

「?」

「その、志乃がな…心配で」

心配、とはどういうことなのか。
問おうとしたけれど、先生は僕にメモを握らせて離れていってしまった。その原因は他でもなく志乃で、彼が教室に戻ってきたところだったのだ。少し前まではトイレまで毎回一緒に行かされていたけれど、最近はなんとか自立させて一人でトイレに行くようにした。なんだか子育てでもしてる気分だったけど、そんな笑い話も出来ないくらい志乃は怖い顔をして戻ってきた。

「りん、何言われたの」

「いや、何も」

「でも今…」

ああ、そうだ、メモ…
半分に折られた手のひらサイズの付箋には、“志乃に勉強させてください。留年しそうです”と書かれていて。え、もうこの時点で留年を懸念されているのかと驚いてしまった。テストは既に来週から始まる。あと1週間でどうこうできるものではない気がしたけれど、とりあえず志乃に聞いてみるしかない。

「志乃、来週テストだけど勉強─」

「あ、手洗ってくるの忘れたから、洗ってくるね」

「いや、今まさに手拭いてるよ」

「……」

そんなあからさまに話を逸らそうとするなんて…何がそんなに問題なのか。いくら勉強が出来なくたって、内心が悪くたって、二年に進級できたんだからそこまでの問題はない気がする。でも、この後僕は驚愕してしまった。

「は?」

「いや、だから、遥は救いようのない馬鹿だって言ってるんだ」

「それは分かったけど…でもその限度と言うか…」

志乃がどうしても口を割らないため、昼休みいつも通り僕らの前に現れた樹くんに聞いてみた。あの一件以来、樹くんは少しだけ僕と仲良くしてくれるようになっていた。こうして普通に話ができるくらいには。

「中学の時は全教科ほぼ10点以下。でさ、まさか高校受験するなんて思ってなくて、遥がここ受けるって言い始めた時は尻もちついた。びっくりしすぎて」

「え、それで…でも受かったんだよね?受かったからここにいるんだよね?」

まさか裏口入学とかそんなことは…

「んー、まああの時は頭いい奴ら何人かで遥の面倒見てたから、ぎりっぎり合格ラインに達した、って感じ。そんなんだから入学してからは絶望的で。テストのたびに再試ペナルティ課題のオンパレード」

そんな会話を、志乃は大きなおにぎりをもぐもぐしながら黙って聞いていた。いや、聞いているのかいないのか際どいけれど。眉を垂らしたその顔は何とも言えない可愛さだった。でもそれより、そこまで絶望的に頭の悪い志乃が今ここにいるのが不思議で仕方な。

「で、もうどれがいつの課題なのかわからねえくらい溜めに溜めて、学年末にそりゃあもう死ぬ気で勉強会だよ。高校受験の時の奴ら集めて、それもぎりっぎりでお情けで進級させてもらって。まあ、それがあるから今年は最初のテストから気張ってんだろ」

先生たちもそんな苦労はもう御免だ、ということだろうか。

「志乃、1+1は?」

「……2」

「いや、音羽、お前…」

「10−2は」

「…8?」

「5−15は?」

「……んーと、」

「…8×7は?」

「……」

いけない…これはかなり危険かもしれない。
じめじめして蒸し暑いくらいなのに、寒気がした。



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bkm


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