以前、一日彼が隣にいなかった時…どうしてだか無性に寂しく感じた。
その感覚は、家にいる所為かまおのおかげか、その時よりは薄い。それでもそれを拭いきれないのは、志乃が“じゃあ、また”と言ったきり現れなかったからで。眠りについたまおの頭を撫でてから、部屋を出てリビングへ降りた。ゴールデンウィークの課題が少し残っている。寝る前に終わらせなければならない。なんて、答えも写さず真面目に問題を解いて、期日に提出しようとしている生徒なんて一割か二割なんだろうな。自分の通うあの学校では、の話だけれど。
まおの相手で手一杯だからできなかった、なんてそんな言い分けはしたくない。
『ピンポン』
「…、」
インターホンが鳴ったのは、そんな課題が終わった〜と、伸びをしようとした瞬間だった。ちらりと見えた時計は12時少し前。もうすぐ日付が変わるじゃないかと、頭の片隅で冷静に思った。こんな時間に来客なんて、ちょっと怪しいと思いながらも、とりあえず玄関へ向かった。
でも、モニターには誰も映っていなくて、違う意味で怖くなった。なりつつも、覗き穴でドアの向こうを覗く。やっぱり、誰も…
「っ!!」
誰かが倒れているのが見えた。
「え、志乃っ…」
慌ててドアを開けて確認してみれば、やっぱりそれは志乃で。いつかのデジャヴみたいだと、ふと思ったけれど…それどころじゃなかった。服は血と土で汚れ、所々破れ、金髪はまたしても赤く染まっていて、暗くてよく見えなかった顔は家の中に引きずり込んで、やっと見えた…いい男が台無しな、アザと汚れ。切れた唇から出た血は固まって、もろに殴られたのか左目の周りは赤黒く腫れ上がっている。
志乃はぼんやりと宙を眺めて、ふっと瞼をおろす。それを繰り返すだけで、なんだか死んでしまいそうだった。それほど弱っていて、傷だらけで…
「志乃、とりあえずソファー…」
歩くこともままならない彼をずるずるとリビングのソファーへと運び、なんとかそこへ沈めた。それから救急箱と濡らしたタオルを用意して、汚れた服を脱がせる。
「……り、ん………?」
「喋らなくていいよ」
「ん、」
何があったの、なんて…聞けなかった。救急車呼ぶ?という問いかけしかできなくて、でも志乃は嫌だと何度も何度も首を横に振った。だから僕は手当てをしてから志乃に自分の服を着させて、毛布をかけてやり、まるで死なないでくれと祈るようにその手を握って朝を迎えた。
「りんちゃん!!」
「、まお…」
「りんちゃん、朝だよ、保育園遅れるよー?」
朝…
「っ!え、うそ…ごめん」
まおの声に顔をあげて、そこがリビングだということが一瞬理解できなかった。
「いいよー。ねえ、はるちゃんいつ来たの?学校行かないの?」
「、志乃…」
そうだ、昨夜傷だらけの志乃が来て…
志乃は騒がしい僕らにきづくことなく、深い眠りについているようだった。ピクリとも動かない睫毛に、変な心配がよぎったけれど、大丈夫。ちゃんと胸が上下している。寝息も聞こえることを確認してから、僕は慌てて着替えてくるよう促し、おにぎりを作って、まおが食べている間に自分の身支度を済ませた。
「りんちゃん食べないのー?」
「食べるよ。まお食べ終わったなら、歯磨きしておいで」
「はーい」
多少家を出るのが遅れたって問題はないけれど、それでもいつもより遅いというのは気が焦る。僕は電話の横にあったメモ帳に“起きたら食べて。番号とアドレス書いておくので何かあれば連絡して。あと、帰るときはポストに鍵を入れておいて下さい。凜太郎”と記し、ソファーの前にあるテーブルにおにぎりと鍵を重石にしてそれを置いた。
「はるちゃん置いてくのー?」
「志乃は体調悪いから、休ませてあげて」
「そうなの?大丈夫?」
「大丈夫だよ」
これなら志乃が目を覚ましたとき誰もいなくても困らないだろう。母さんにも一応“友達が寝てるけど、そっとしておいて”とメールを入れておいた。おそらく、僕らより先には帰ってこないだろうし、そのメール自体、見るのは夜だろうけれど。そういえば昨夜帰ってこなかったな、と思ったところでまおが戻ってきて、僕らは家を出た。
途中でコンビニに寄ってお昼ご飯を買い、それからまおを送り届けて自分も登校した。机についてからおにぎりを押し込み、なんとか朝のホームルームには間に合った。
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