なんだ、本当に…子供のようなへらりとした笑顔は、何処に…
そんな疑問を浮かべながら、志乃の背中が見えなくなるまで呆然と眺めていた。はっとしたのは、今出てきたばかりの建物の中で「ガタン」と音がしたから。
僕は慌ててその場に背を向け、曖昧な記憶のまま裏道を進んだ。それからなんとか大通りに出て、そのまま真っ直ぐまおのところへ向かった。

「りんちゃん!おかえり!」

「ごめん、遅くなって。ひろみ先生も、すいません、電話くれましたよね」

「大丈夫ですよ、まおちゃんとっても良いこにしてました。電話はまおちゃんのお昼をどうしようか相談しようと思って…それより、お友だちは見つかりましたか」

「あ、はい…でも、急用が出来たみたいで…帰りました」

あらそうなの、と少々残念そうに微笑んだ彼女に、なんとなく苦笑いが漏れてしまった。

「あれ、凜太郎くん眼鏡…」

「っ、走ってたら落として、ちょっと…それよりまお、お腹すいたでしょ?なにか食べるもの買ってこよう」

そうだ、視界が不明瞭なのは眼鏡がないから…はっとして、けれど頬の腫れには気づかれていないようでほっとした。

「うん!あ、りんちゃん、りんちゃん」

小さな手を握ろうとした僕の手から逃れたまおは、品物の中からぬいぐるみを一つ指差して僕を見上げてきた。

「あれ、あのわんちゃん、買ってー?」

それは、綺麗なベージュの毛並みを持った犬のぬいぐるみ。垂れた耳と、立派な尻尾、ゴールデンだろうか。つぶらな瞳がこちらを見ていて、不意に志乃の顔が浮かんだ。

「ダメー?」

「どうしてもほしいの?」

「どうしても!」

「…先生、そのわんこいくらですか?」

「200円だけど、まおちゃんお手伝い頑張ってくれたから、100円にしますよ」

「まおが頑張ったご褒美だね、はい、お願いします」

「はい、ありがとうございます」

銀色のコインと引き換えに、柔らかなぬいぐるみが手にのせられた。

「はい、まお、よくがんばりました」

「わあ!りんちゃんありがとう」

たいした大きさではないそれも、小さなまおの腕の中ではかなりの存在感を放つ。そんな彼女の満面の笑みに、なんだかもう幸せで胸が満たされるのを感じた。けれど、なぜだか拭えないモヤが残る。

「りんちゃん、はるちゃんもう来ないのー?」

「あー…どうかな、きてくれると良いけど…」

じゃあはるちゃんにも見せてあげようと、目をキラキラさせたまおの手をとり、たこ焼きとアメリカンドックを買って適当な場所で食べた。もう終始ご機嫌なまおはぬいぐるみをずっと抱き締めていて、それは帰ってからも同じだった。

「明日はるちゃん来るかなあ?」

「どうだろうね」

「来るといいね」
へへ、とぬいぐるみと鼻を擦り合わせるその姿はやっぱり間違いなく可愛い。ここまで楽しみにしているんだ、志乃も来るだろうと勝手に決めつけて、その日は早めに眠りについた。
次の日、頬は少し腫れていたけどまおに気づかれるほどではなかった。ただ、頬より痛かったのは胸だ。「はるちゃん来ないね」と、ぬいぐるみを抱き締めて唇を尖らせる妹にも、ひどく胸が痛んだ。

「まお、お昼食べたら公園行こうか」

「行く!しーちゃんもつれてって良い?」

「しーちゃん?」

「この子、しーちゃん」

えへへ、と笑いながら、まおはぬいぐるみに頬擦りをした。どこから着いた名前なのか…考えてみて、ふと思ったのは“志乃”で。僕が志乃、と呼ぶからもしかしてそこからきているんだろうか、と。だとしたら、兄弟揃ってそのわんこが志乃っぽいと思ったということ。それがなんだか可笑しくて、そして嬉しくもあった。

早く、志乃にも見せてあげたいな。
まおもきっと喜ぶんだろうな。

なんて、勝手に想像して楽しくなっていたけれど…結局、志乃が連休中僕の家に来ることはなかった。


─ to be continue ..



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