「あーやっと起きたー?志乃ちゃん寝過ぎだって」

志乃の、声。
え、この場にいたの?なんて冷静に考えている自分がおかしくて、でもそちらに視線を向けることも億劫で、目を閉じた。

「りん!」

「はい、ストーップ。みんな志乃ちゃんのことちゃんと押さえててね」

「……お前…」

「志乃ちゃんさ、一人で勝手に居なくなるなんてずるいよね。でもさ、簡単に抜け出せると思わないでよ。最近の志乃ちゃんのお気に入り、あの子でしょ?もう結構ボロボロにしちゃったけど、どうする?」

声にだけ意識を集中させて、二人が知り合いなのだと悟る。まあ、険悪な雰囲気、というのは拭えないけれど。

「助けたいでしょ?でもその為にはここにいる全員、ぼこぼこにしなきゃね。志乃ちゃんが大嫌いな、暴力で」

「アマ、今なら許すから、りんを離して」

「許す?何言ってんの?志乃ちゃん状況わかってる?そんなガチガチに拘束されて、こんだけ囲まれて。人質もいるし」

「アマ」

「でもさ、一つ分かってよ。こうまでして、志乃ちゃんを手放したくないわけね、俺たち」

“アマ”と言うらしいセンター分けが、僕から一歩離れ、けれど次の瞬間僕のお腹へ、蹴りを入れた。

「、ぅ…あ」

「ほら、どうする?志乃ちゃん」

痛みに、感覚が覚醒した。目を開けて、なんとか志乃がいるらしい方へ視線を流せば。此方を不安げに見つめる金髪が、確かにそこで揺れていた。

「しの…」

「選択肢は二つ。抜けるって言葉を撤回するか、ここで暴れるか。後者だと確実に、音羽ちゃん傷つけちゃうけど、いいの?」

「……アマ、俺を、見くびってる?」

「は?」

ここがどこか分からないけれど、少なくとも道端ではない。薄暗い倉庫のような、でもそこまで埃っぽくはない。そんな空気が、僅かに揺れた。

「っ!」

「おい、押さえ─」

「馬鹿野郎、何してんだよ」

それまで二人しか喋っていなかったそこで、一気にいくつもの声が生まれたのだ。

「あはは、反抗するか」

「凛太郎に手ぇ出したら」

「っおい、お前何抜け出して…」

「ここにいる全員、殺すよ」

「誰だ!志乃の紐ほどいた奴は!?」

“殺す”その言葉に、本気の殺意が孕んでいた。
自力か、誰かのミスか、志乃はその体を拘束していたらしい紐から抜け出した。それに動揺したのか、何人かが志乃から離れ、僕へ向かってきた。
そして、僕に翳された金属バット。え、と声が漏れるのを止められなくて、間抜けな声が小さく響いた。でも、それは僕と衝突する前に、志乃の掌が止めていて。

「音羽ちゃんさ、よく見ときなよ。志乃が狂ってるところ。本当にきっともう、君は志乃を近くに置いておけなくなる」

アマはそう言ったきり、もう喋らなかった。代わりに、しっかりと僕の体を押さえつけて、下敷きにするようにのし掛かってきた。僕に駆け寄ってきた数人も、もう今は手の届くところにはいない。数メートル離れたところで、すごい勢いで志乃に襲いかかっている。

志乃は、おかしかった。

前にも言っていた、痛いのは嫌いだから、とう言葉。でも、それにしても、こんなに一気に襲いかかられたら、諦めてもいいのに。降伏も一つの手だし…でも、今の志乃は、拗ねた子供のような口ぶりで“痛いのは嫌い”などと言ってはいない。狂っている。

「っ、しの」

だって、周りなんて全然見てない。見えてない。きっと、正常でない目をしている。僕が知っている、あのへらへらした笑いなんてどこにもない。そう、噂通りの“不良”。怪我をするのも、他人の血にまみれるのも、まるで気にする様子もなく、拳を振り翳している。

「く、っそ…たかが一人に…」

痛々しい、骨と骨のぶつかる音。
目を逸らしたいのに逸らせなくて、ただ呆然と、人が倒れていくのを眺めていた。それから少しして、何人いたかなんて数えてないから分からないけれど、立っているのが志乃だけになった。金髪は赤黒い血をべっとりと纏い、自らも額や唇から血を滲ませ、ゆっくりと、僕を振り返った。

そのときようやく、アマが口を開いた。



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