「俺、りんちゃんの凛って字好きだよ。辞書で引くと厳しいとか引き締まるみたいな意味が出てくるけど、凛々しいとか凛としたとか、りんちゃんにすごく似合う名前だなって」
「あ、ありがとう…」
「だからね、文字はあんまり綺麗に映し出せないかもって言われたけど、ここに入れたんだよ」
「……うん」
「いつ見にきても良かったんだけど、これは俺がこっそり作ったものだし、りんちゃんにだけ見てほしいなって思ってたから…一番最後にここに置いて、そのまま片付けるときにこっそり持って帰ろうかなって、思ってたから」
「えっ、僕しか見なくて良いの?せっかく作ったのに」
「うん、そのために作ったんだもん」
「っ、」
うっすらと浮かぶ遥の顔がふにゃりと綻び、繋いでいた手にきゅっと力が入った。
「これ、部屋とかでも使えるから、りんちゃんにあげる。字は見えないけど、ちょっとしたプラネタリウムみたいにはなるから」
「えっ、いいの?」
「うん」
「……ありがとう」
「あとね、もうひとつ」
こっち、と再び手を引かれてドームを出ると今度は窓際の暗幕の前に連れていかれた。
「なに?」
「ちょっとここめくって」
「これ?」
黒い幕を指先で摘まみ、そっと覗くと窓からの光をしっかり遮断する段ボールが見えた。ただ、たぶん見えたこの一角だけが黒く塗られているのか、段ボールに印刷された文字は確認できない。ただ、そこに点々と開けられた穴はまた文字を浮かび上がらせていた。
「な、あ…」
「以外と綺麗に見えるよね」
「……」
「りんちゃん?あ、やっぱり女々しかった?」
「…ううん」
女々しいという言葉をかけるなら、遥だけじゃなく提案したという谷口くんにもかけるべきだろう。確かに男子高校生がしないようなことだけれど、そこにあるたった一言の文字がこんなに嬉しい僕もたぶん、相当女々しい。
「僕も好きだよ」
「っ!」
「なんで黙るの」
「え、だって…」
「ここに大好きって書いてあるから、返事したのに」
「もー!ずるい!」
「あはは、何が─」
「……ずるいよ、りんは。俺ばっかり好きになってるもん」
今誰か入ってきても、すぐには僕らを見つけられないだろう。それでも、この暗さになれた僕の目はしっかりと遥の顔が確認出来る。両頬を包み込まれ、鼻先が触れるほど近くにあるその顔は僕よりずっと凛としていた。こんな表情をされて靡かない女の子はそうそういないだろう。
「だから、遥」
「……」
「やっぱり言わない」
「ええっ、なに」
「もうみんな戻ってくるよ」
「あっ、中のやつ取り替えよう」
ぱっと離れた遥の背中に向かって「そう思ってるのは僕も同じだって」と呟くと、大袈裟に驚いた遥がドームの中で頭をぶつけたような音がした。それからすぐに賑やかな声が近付いてきて、僕らは教室を出た。谷口くんは高坂くんと入りたいとやってきた何人かを足止めしてくれていて、僕らが出るのと入れ違いで女の子が三人教室に入った。それを横目に、「どうだった?音羽くん」と谷口くんがへらへらした顔で問うてきた。
「綺麗だったよ」
「そっか、良かったな」
「うん、谷口くんもありがとう」
「はは、何のお礼だよ」
意外と乙女思考なんだという感想は飲み込み、戻ってきた遥のクラスメイトたちと交代して僕らは残りの一時間ほどを楽しんだ。
閉会式で最優秀賞を授与されたのは、昨日の午後に見た二年生の演劇で、きっと、去年の僕らと同じようにたくさん練習して用意をしたんだろう。喜びの歓声の中で、鼻水をすする音が聞こえた。大盛り上がりだったサッカー部は特別賞を貰っていた。
「これをもちまして─」
僕らのクラスも遥のクラスも賞を貰ったけれど、終わってしまったことを実感して、残り三ヶ月の学校生活が急に不安になった。もう大きな行事はなく、後期中間と学年末考査があるだけ。そんなことを考え、片付けられていく文化祭に足が止まった。
「音羽?」
「……」
「どうかした?」
「あ、ううん…このあと、掃除だよね」
「三年は自分達の教室だけだから、当番じゃなかったら帰って良いと思うけど」
「そっか…僕このあと進路指導室呼ばれてて」
「あっ、そっか、志乃のクラス片付け時間かかるだろうし、俺声かけとこっか?」
「ありがとう、僕からも一応メールいれておくね」
「ん、了解。いってらっしゃい。…あ、音羽、」
「ん?」
「また明後日な〜」
「うん」
軽く手を降り、おそらくあえて“明日頑張れ”と言わなかったであろう谷口くんとわかれて階段をおりた。明日は遥の誕生日だ…一番におめでとうと言いたいけれど、言えるだろうか。きっとそわそわして眠れないだろうから12時になったら電話を掛けようかとか、でも普段あまり夜更かしはしないから無理だろうかとか、かけたらかけたで遥が困るだろうかとか、そんなことを考えながら目的のドアを開く。
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