志乃だろうかと、一瞬思ったけれど…
そこにいたのは、見たことのないお兄さんで。しかもこの場所には不釣り合いな、ガラの悪い、オニイサン。

「あの、」

「志乃のこと、探してんの?」

「へ?あ、はい…」

思ってもみなかった言葉に思わず頷いてしまい、「こっち」と腕を引かれるままに、彼の進行方向へ従ってしまった。もちろん、怪しすぎると、思いとどまったのだけれど…

「黙って付いてこい」

強引に腕を引かれたのが最後、人混みに紛れて、腹部をものすごい衝撃が襲った。うっ、と漏れた自分の呻き声、僕はそのまま意識を手放してしまった。

ふ、っと意識が浮上したのは、それからどれくらい時間が経ってからだったのか。ぼんやりと見えた人の数に驚き、それからぼそぼそと聞こえる話し声に、身動ぎしようとして…両手を後ろで縛られ、おまけに口にはガムテープらしいものが貼られているのだと気付いた。気付いて、ぞっとした。

「あ、起きた」

「ごめんね、殴られたの痛かったよね?馬鹿な舎弟が手荒なことして、本当にごめんね」

僕が話しかけられているのだと、理解するのに少し時間がかかった。徐々にクリアになっていく視界で、僕に声をかけたらしいその人が小さく笑みを浮かべた。

「、?」

「今更で悪いんだけど、一つ確認しても良い?」

ああ、これ以上クリアに見えないのは、眼鏡がないからか。その人の手によって無理矢理横たわっていた体を起こされ、その事に気付いた。

「君は、音羽凜太郎くんで、間違いない?」

どうして、僕の名前を知っているんだろう。僕は、その人のことなんて知らないのに。長い前髪は真ん中で分けられ、鬱陶しそうなそれからちらちらと覗く三白眼。ぼんやりとだけれど、それだけはわかった。

「答えて。頷くとか、首を振るとか、なんでもいいから」

どことなく優しい口調なのに、声は鳥肌が立つほど冷たい。僕は頷くのが精一杯で、一つ浅い頷きを返した。返事を促されると同時に勢いよく剥がされたガムテープの所為で唇がヒリヒリと痛んだ。

「そう、じゃあ…」

ゆらり、その人は長い前髪を揺らして僕の耳元で囁いた。

「よく来てくれたね、音羽ちゃん。今からぼこぼこにされてね」

君みたいな平凡で、俺たちとは無関係な世界で生きてきた人間に暴力を振るうのは、気が引けるんだけどね、と付け足され。意味が分からず首をかしげたら、思いきり頬を平手打ちされた。

「っ!!」

そして、冒頭に至るわけなんだけれど。

おかしい。僕志乃を探していただけだよね?そう考えながらじんじんと痛む頬を、擦ることもできないで俯く。幸いにも、グーパンチでなく平手打ちだったおかげか、まだ耐えられた。もちろん、こんなふうに叩かれたことなどないから、泣きそうに痛いのだけれど。ただ、手を下しているのはこのセンター分けの三白眼だけ。しかも、凶悪そうな顔をしているその人でさえ、時折「本気でいたぶりたいわけじゃないからね」と、心苦しそうに呟く。
訳がわからないまま、ただぶたれ続けていたけれど、なんとか声を振り絞ってその人へ問うた。

「あ、の…」

「なに?」

「……僕、どうして拉致られてるんですか」

震えてしまったけれど、消え入りそうな声ではなかった。
それでも、その人は少し驚いたように目を見開いて。すぐに細めた。

「ん〜人質?」

「…人質?」

「そう、人質。最近、志乃が構ってくれないんだけど、どうもその原因が音羽くんみたいでさ」

「は、あ…?」

「…まあ、詳しい事情は本人から聞いて。いや、無理かな…きっとこれからの志乃をみたら君は、もう彼に近づこうとは思わないだろうし」

すごく楽しそうに声を潜めたその人。でも僕にはやっぱり理解できなくて、全然状況も分からないまま。

「とりあえず、君をボロボロにするのが計画なんだ。もう少し付き合ってね」

バチン、とひときわ大きく頬が音をたてた。座っていられないほどの衝撃に、思い切り体が地面に倒れた。なんだかもう、朦朧としている。そう、目を閉じようとした時だった。

「りん!!」



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