夏休み最終日、まおは僕らより一日早く学校が始まり最後のその日は遥の家に遊びに行った。
「おお、写真が増えてる…」
「あ、これ見て、ばあちゃんがシーグラスとか貝殻で写真たて作ってくれた」
「……器用だ…」
見てみてと、自慢げに見せられたそれは恐らくシンプルなフレームだったものに、海で拾ってきた貝殻などを接着した写真たて。細かいことは自分もそれなりに出きるつもりだけれど、こういうセンスが問われることは出来ない。だから本当にすごいなと、思ったものの、それより中身の写真が恥ずかしくて目を逸らしてしまった。
「学校始まったら毎日会えるけど、なんかまだりんちゃんが同じ教室にいないの慣れない」
それは、プールで皆で撮ったものだけど、僕と遥が手を繋いでいるのがバッチリ写っていたからだ。それが見えなければ楽しい一枚、で済んだのに…遥に腕を組まれ、その先でしっかり指を絡めているのだ。そんなつもりはなかったというか、まあ写っちゃいないかと…
「あ、お昼、お店行こう」
「えっ?」
「お店。じいちゃんとこの」
「い、いの?そんな突然」
「うん。もう言ってあるから、ランチのピーク過ぎたら行こ。ちょっとお昼ずれちゃうけど、よかったら」
「い、く。行きたい」
「うん、じゃああとで」
でもお金をそんなに持っていないと呟けば、俺のバイト代から天引きしてもらうから大丈夫と言われた。さすがにそれはさせたくないから、足りなかったらあとで返しに行こうと決めた。その心配通り、連れていかれたお店は高校生が気軽に立ち寄れる場所には到底見えなかった。
大きくて立派、というよりは品のある店構えで、店内に入ると石畳の通路が続いていてすぐに遥のおばあちゃんが出迎えてくれた。淡い桃色の着物を纏った彼女は、余所行きな表情と雰囲気とは裏腹に「いらっしゃいませ」といつもの声色でぺこりと頭を下げた。
「いつもはいないんだけどね、今日はりんが行くって言ったら、自分もおもてなしするって」
「えっ、すみません、お邪魔します」
「気にしないで、こちらどうぞ」
ランチのピークを過ぎた店内、八席あるカウンターは全て空いていたけれど、襖で仕切られた個室らしい部屋はまだ三つほど閉まっていて、中に人が居るのが分かった。
僕らは案内されたカウンター席に腰を下す。目の前では調理しているのが見える造りで、もっとちゃんとした服装をしてこれば良かっただろうかと後悔した。そんな僕をよそに飲み物が出てきて、カウンターの向こうに居た若い男の人が「どうぞ」と微笑んだ。
「ありがとうございます」
「あ、紹介するね、美野さん。俺に色々教えてくれた人」
「そうなんだ、初めまして、音羽です」
「初めまして、“りんくん”のことは遥から聞いてるよ」
白い調理服を纏った美野さんは遥が言うにはお店では一番若く、遥の面倒を見る係だったらしい。だから美野さんに色々教えてもらったんだよと、楽しそうに話してくれた。お店のことはほとんど聞かないからなんだかとても新鮮だった。けれど残念なことに今日おじいちゃんは居ないらしい。他の板前さんたちも休憩に入っているらしく、店内は思ったよりも静かだった。そんな中で僕らの相手をしてくれた美野さんは、遥はこうだったとか頭は悪いけど覚えは悪くないとか、たぶん普段はこんな風に喋らないお店なはずなのにとても楽しくお話をしてくれた。
置いてあったメニューにはコースの他に、単品の料理もいくつかあった。その値段を一つ一つ見ることは出来なかったけれど、出てきた料理は“ランチ”というには豪華すぎるものだった。
「お昼は赤字だね」と、美野さんは笑っていたけれど、でも美味しいと思ってもらえたら夜のコースも食べてみたいって、足を運んでくれる人がいるかもしれないでしょと付け加えて幌笑む。
「だからお昼は赤字覚悟。って、言ってたらお前が言うなって笑われそうだから内緒にしておいて」
「ばあちゃんそこにいるよ」
ケラケラと笑う僕らの背後で、最後のお客さんがお店を出ていった。
「僕らもそろそろ出ないと邪魔にならない?」
「気にしないで、ゆっくりしていって。主人からももてなすように言われてるの。遥が本当にお世話になってるみたいで、いつもごめんなさいね」
「いえ、仲良くしてもらってるのは僕の方で…」
「遥この一年くらいとっても楽しそうで、凛太郎くんみたいな子と仲良くなれて良かったわ。これからも遥のこと、よろしくね」
上品に笑うその姿に“おばあちゃん”と名前をつけるのはとても気が引けるほど綺麗で、遥もきっと歳をとってシワが出来ても同じように綺麗なままなんだろうと想像できた。それでも、シワの寄った手で料理をしている姿も見られるとすぐに思った自分に驚いておばあちゃんに下げた頭をなかなか上げられなかった。
豪華すぎるランチを食べ、少し話をしてお店を出ると、そろそろまおが帰ってくるだろうかという時間になっていた。そのまま帰ることにした僕を、遥が送っていくと譲らなかったから二人で僕の家まで歩くことにしt。全部美味しかった、お店も素敵だったと言えば遥は少し照れたように「良かった」と呟いた。
「遥があの場所に立ってるの、似合うと思うな」
「ほんと?」
「うん、格好良い」
「頑張る!」
たぶん、今は本当にバイト扱いで、やらせてもらえることはお皿洗いや掃除ばかりだろう。それでも美野さんの話では遥もいろんなことを学んでいると分かった。この先ずっとその仕事を続けるのか続けたいのか、それは遥にしか決められないことだけど、何となく遥はおじいちゃんやおばあちゃんと同じようにいつまでもお店に立っている気がする。本当に、それが似合うとも思う。
「送ってくれてありがとう」
「うん」
「あがってく?まだ早いし」
「んーん、今日は帰るよ」
「そっか」
「うん、今日、来てくれてありがとう」
「ううん、僕の方こそ」
「また来てね。今度はご馳走する」
それはおもてなしするという意味か、おごるという意味か、どちらにしてもありがたく思えたからもう一度ありがとうと返した。
「りんちゃん」
「ん?」
「へへ、ほんとにありがとうね、嬉しかったよ」
「もう、分かったって」
「言い足りないの」
やんわりと握られていた手が離れ、名残り惜しそうな遥の顔にあてられて思わず「好きだよ」と溢してしまった。じわりと遥の頬が赤く染まり、それがあんまり可愛いから笑いが溢れる。。
「へっ、え、あ、なに、な…うん、俺も大好きだよ?え、え?」
「なんでそんなに驚くの」
「だって突然言うから…」
「今、言う雰囲気だと思ったから」
「うう、ずるい…」
「ずるくない。…じゃあ、また、明日」
僕よりは恋愛経験があるだろうとは思う。それでも初な反応をするのだから、ずるいのは遥の方だ。真っ直ぐで、淀みのない目が僕を映す。
「寝坊しないようにね」
「しないよ、ちゃんと来るから待っててね」
「ふふ、はいはい」
そのあとも一言二言言葉を交わし、もう一度また明日ねと言い合って、遥は帰って行った。夕飯までにいつものようにお腹がすく気はしないけれど、まおはお腹を空かせて帰ってくるんだからと冷蔵庫を覗き込む。お腹がいっぱいというよりは胸がいっぱいで、メニューを考えているうちに少しずつ空腹感を感じ始めた。それと同時に、少しずつリアルになっていく“将来”に緊張のようなものをしていたんだと気づく。まおが大きくなるのと同じだけ僕らもちゃんと時間を重ねているんだ、当然と言えば当然のはずなのに、なんだか今さらになってそれをとても実感した。
─ to be continue ..