「音羽?」

「あ、うん?」

「なに、冷えた?」

「ううん、大丈夫。ありがとう」

嬉しい。
携帯でやり取りをすることを羨ましいと思っても、それを重要だとは思わなかった。だからそれが、連絡先が一つ、ボタン一つで繋がれる人が一人、いるだけで、それだけでどんなに心強いことかも知らなくて。もちろん、誰でもいいというわけじゃない。僕にとってのそういう感覚を、相手も同じように持っていてくれたら…そう思うと胸がきゅっとして、もう一度ありがとうと呟いてしまった。

「やばい、俺、人生初めてのスライダーだった」

「まおも!今度はるちゃんと滑る〜」

「うん、滑ろう」

そのあと別のスライダーや、キッズ向けの小さいプールで遊んだりしてみんなでお昼を食べた。それからすぐに寝てしまったまおに付き添い、休憩スペースで僕も休憩することにした。みんなはそれぞれ行きたいところに行き、遥も残ると言ってくれたけれどそれは勿体ないから行っておいでと背中を押した。
日焼け止めを塗っていても焼けてしまったまおの肩は赤くなり始めていて、お昼に買ったお茶のペットボトルでそっと冷やした。日焼けはとりあえず冷やせ、と言うけれど寝ている子供に押し付けては起きてしまうだろうかと、ぬるくなりつつあるそれに、あまり力は入れなかった。

「ねー見た?」

「今の人でしょ?見た」

「うん、めちゃくちゃイケメンだった」

「一人?なわけないか」

「友達と来てるなら声かけたいよね」

「いや、さすがに彼女居そう」

「まあねー…でも彼女来てないならいいじゃない」

大学生くらいだろうか、近寄ってきた女の子二人組の声が耳に入り、遥のことかなと一瞬思ってしまった。いや、こんなに広いんだから違うか…学校内で感じる遥への視線と同じようなものだからつい、な…とため息をついてからまおの額に浮かぶ汗をタオルで拭った。それに遥は谷口くんと宏太くんとプールで流れているはず。

「え、こっち来るよ」

「どうする、声かける?」

「座るとこ見てからにしよ」

「そうだね」

ヒソヒソと、けれど近くにいる僕にはしっかり聞こえていて、そっと顔を上げるとちょうど遥が僕らのシートのある日陰に入るところだった。

「えっ、あ、遥…」

そんな僕の呟きと、「友達っぽいね」と確信したような女の子の声が重なった。

「どうしたの」

「んー?りんちゃんと居たいから、やっぱり戻ってきた。場所、分かんなくなっちゃってちょっと迷ったけど」

遥は僕の手渡したタオルで軽く体を拭き、隣に腰を下ろした。「まおちゃんよく寝てるね」と小さく微笑む姿は、本当に格好良くて女の子たちが近づいてくるのが遥の背中越しに見えた。そしてそのまま「あの〜」と、遥の背中を見つめながら声がかけられる。

「お兄さんたち二人ですかあ?」

どう見ても子供と三人だけど、と思いつつ去年と全く同じ誘い文句に笑いそうになった。デジャヴ。海での記憶が鮮明に蘇った。

「もし二人なら、一緒に浮き輪のスライダー行きませんか?」

「あれ」と指差した女の子に、「子供が寝てるんで静かにしてほしいんですけど」と先に言葉を発したのは遥だった。そうか、さっきまでは三崎さんも一緒に居たしまおも元気で遥と手を繋いで歩いたりしていたから、声をかけられなかったのか。そう気づいた僕に、女の子二人の視線が移った。

「妹ちゃん?」

「はい」

「よく寝てるみたいだし、少しくらい…あ、じゃあここでお話とか」

「日を改めて、とかでも!連絡先教え─」

「ほんと、迷惑なんで」

「はる、」

「見て分かんない?非常識」

遥の言う通り。だけど、想像と違う反応を示したらしい遥に女の子たちは少し引いている。いやまあ、遥が正しいのは分かっているし僕が言いたいことを言ってくれたことも嬉しいからありがたいのだけれど。

「…」

「行こ」

「…うん」

普通、年頃の僕らにとって女の子の方から声をかけてもらう、なんてこの上ない自慢のはずなのに。

「……りん?」

「……」

「りんちゃん、なに?俺何か可笑しかった?」

「ううん、ごめん、そうじゃない」

「なにー?」

「なんでもないよ」

「気になるじゃんか〜」

「えー?」

そそくさと立ち去った女の子たちはもう姿も見えなくなっていて、まおは心配に反してすやすや眠ったまま。隣に座る遥が間を詰めてきて、もう一度なに?と小さく問うた。

「ほんと、なんでもないよ。ただ、去年も海で今みたいに遥か声かけられてたなって」

「えっ、そうだった?」

「そうだよ。あと、嬉しくて」

「嬉しい?」

「うん。まおの事気にしてくれて」

「気にしてるんじゃないよ、まおちゃんは俺にとっても大事な人だし、なんていうか…普通?に」

「……そっか」

「うん」

もう、本当に…
最近こういうドキドキが多い。多くて困る。全然、遥に対して免疫が出来てくれない。せっかく出来てもまた違うことにドキドキして、このままずっと一緒にいたら自分の心臓が先にダメになってしまいそうだなと、真面目に思った。

「鼻、赤くなってる」

「え、うそっ」

「まおちゃんに日焼け止め塗ることばっかり気を付けてたからだよ」

「まあ、それは…僕は多少痛くても平気だし、男だからいいの。でもまおが辛いのは見てられないから」

「そういうの、俺も同じだよ」

「え?」

「んー、なんて言うのかな、りんがまおちゃんのこと大事にしてるのと同じくらい俺もりんちゃんのこと大事に思ってるの。だからりんが後から背中痛くて寝れないとか言ってたら冷やしたり薬塗ったり、何でもしたいと思うんだよ」

「……」

「えっ、ひかないでよ」

「ひいてないよ、感動してるだけ」

そろそろ起きるだろうか、もぞもぞと動いたまおの気配に自然と自分の手が伸びる。ああ、確かにこういう愛しい、って言う感覚、遥にも抱いている。僕も、同じだ。

「ほんと?」

「本当」

「……キスしたいね」

「っ、何、突然」

「んーん、なんか、久しぶりにりんちゃんとこうやって喋る気がして」

それがどうしてキスに、なんて野暮な質問は出来なかった。会わない日が続けば会いたくなるし、声を聞けばもっと会いたくなるし、こうして隣に居ると思えば触れたくなる。

「帰るまで、我慢するよ」

「…うん」

「高坂くんと三崎さん、あの大きいスライダー並ぶって言ってたけど、もう滑れたかな?結構並んでたし、まだかな。あ、谷口くんたちも少ししたら一回戻ってくるって言ってたし、そしたらみんなでもう一回他のスライダー…」

行こうね、と続くはずだった遥の声を遮り、その首にかかっていたタオルを掴んで引き寄せた。特に力を入れることもないまま、遥の顔は寄せられて、掴んだタオルで口元を隠して僕も顔を近づけた。たぶん、誰も見ていない。僕らの前を行きかう人はまばらで、近くにいる人も顔にタオルを乗せて寝ている人がほとんど。一瞬だけ唇を重ねてすぐに離れたけれど、恥ずかしくてもう遥の方は見れなかった。

「り、」

「んんぅ〜、」

「まお、起きた?」

「ん…ふぁ、……うん」

いいタイミングでむくりと起き上がったまおは軽く目をこすり、「すべりだい!」と立ち上がった。寝てしまったことを少々後悔しているのか起こしてほしかったなというような目で見られた。ごめんねと一度謝ってから水分補給をさせていたら谷口くんたちが戻ってきて、すいていそうなスライダーを教えてくれた。じゃあそっちに行こうと話しているうちに高坂くんたちも戻ってきてみんなで行くことになった。

「お前ら良く並んだね、あの行列」

「暑すぎた」

「あはは、顔真っ赤」

「谷口くんはもう黒いからあんまり気にならないよね」

「えっ、ひどくない?」

ケラケラと笑う声が湿った空気に響き、そのあともしばらくプールを満喫した。初めての友達とのプールはこれ以上ないくらい楽しいものに終わった。暑さのピークを越え、帰宅ラッシュで混雑する更衣室でシャワーと着替えを済ませ…その間まおは三崎さんが一緒に居てくれた…遅くならないうちに電車に乗り込んだ。その頃には今度は宏太くんが熟睡してしまい、抱っこしたまま座っていた谷口くんもうとうとを舟をこいでいた。まおは終始ご機嫌で何度も何度も楽しかったと空気を抜いた浮き輪を抱きしめて繰り返した。行と同じように電車を乗り継ぎ、駅でみんなと別れて僕らは三人で音羽家に帰った。

「遥、時間大丈夫?」

「うん、もう、帰る」

玄関でサンダルを脱ぎ、先に中へ駆け込んだまおが見えなくなってから、遥は背後から顔を寄せてきて僕の頬にキスをした。

「楽しかったね」

「うん、」

「今度、海行くのも楽しみだね。あと、今日、嬉しかった」

「え?」

「りんちゃんがあんなところでキスしてくれたの…」

「えっ」

今それを言うのかと、顔を後ろへ傾けると遥は真っ赤な顔で口元を押さえていた。

「今日寝れないかも」

「こっちまで恥ずかしくなるから、それ以上言わないで」

「へへ」

それから、まおの事だけじゃなくみんなの事をよく見て日焼け止めとか水分補給とか、荷物の事とか声をかけてたのもりんちゃんらしくて、良いなって改めて思ったよと一歩後退しながら遥は呟いた。

「はるちゃーん!」

危うく抱き付きそうになった僕を止めるように、手洗いとうがいを済ませたまおがバタバタと玄関まで走ってきた。

「まおちゃん、なあに?」

「これ、はるちゃんに!」

「クッキー?」

「うん!昨日作ったの」

「え、いいの?」

まおの目線に合わせてしゃがんだ遥に、まおは昨日作ってラッピングしたクッキーを手渡した。

「夏休みの宿題。自由研究?まおはお菓子作りするって決めたから、一緒に作ったんだ」

週に一度か出来るときがあれば二度ほどお菓子作りをしてその過程を写真に撮り、そのあと作り方と一緒にまとめてファイリングしていく。僕はそれの手伝い、というか見守りをしていただけでほとんどなにもしていない。材料も変わったものは使っておらず、家にあるものや普段から買っているものだけで作っているからお金もかからない。それでもまおは楽しんでやっているし、僕にも食べさせてくれるから僕も喜んで付き合っている。

「これははるちゃんの分」

「ありがとう」

「本当は他にも作ってたんだけど、日持ちしないようなのだったから食べちゃったんだ、ごめん」

「えっ、他にも俺の分用意してくれてたの?」

その気持ちだけで嬉しいと満面の笑みを浮かべ、まおの頭を撫でてから立ち上がりそのまま僕の頭も撫でた。

「気持ちだけで充分嬉しい。このクッキーも大事に食べるね」

「いや、暑いし早めに食べて」

遥はタオルや海パンが入った鞄には入れたくないからと、クッキーを胸に抱えて帰っていった。その夜、谷口くんからたくさん写真が送られてきて、疲れているはずなのに目が冴えてしまってなかなか寝付けなかった。遥も、いつもより遅くまでメールの返信があり、少しだけ夜更かしをしてしまった。夏休みだからいいよねという甘えと、また明日から補習頑張ろうという気合いを入れて眠りについた。

─ to be continue ..


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