その途中で「遥は」と、樹くんが気にかけてくれたのはこの一週間で二度目。最初に会ったとき以来のそれに、僕は少し視線を落として答えた。

「うん、忙しそう」

「まあ、音羽も忙しいか」

「僕はいつもと変わらないよ。ほら、遥のおじいちゃんのお店?手伝ってるんだって」

「あー、真面目にやってんのか」

「みたいだね」

「店、行ったことある?」

「えっ、ない」

「俺も営業中に行ったことないけど、すげーとこだぞ」

「どういう意味で?」

「料亭?みたいな。中学の時遥と店に泊まらせてもらったんだけど」

どうしてお店に、という疑問が顔に出ていたらしく、樹くんは「帰りがちょっと遅くなって、しかも遥鍵なくして家入れなくて、仕方なく店まで行ったんだよ」と話を広げてくれた。営業時間は過ぎていたけれど片付けや掃除、翌日の仕込み等で帰りが遅いから、と。おじいちゃんのお店、と言っても今はおじちゃんがメインで厨房に立っているわけではなかったはず。たしか遥にそう聞いた。それでも忙しいことに代わりはなく。

「晩飯はみんなで食べるって決めてるだろ、あいつんち。だから六時から七時の間にじいちゃんばあちゃんわざわざ戻ってきて、あいつと三人で飯食ってんだけど」

その約束を無断で破ったためお店で寝ろと言われたらしい。おばあちゃんは何度か会って話もして、優しくて品のある人だということは知っている。樹くんの言うような厳しさはあまり感じなかったけれど…

「その時に遥すげえ怒られて、連絡もしないで帰りが遅かったから。でも店で用意してくれた飯がすごすぎて、その怖さとか遥に一人は怖いって頼まれて店の座敷で寝たのとか、帳消しになるくらい美味かった」

そんなことがあったのかと感心しつつ、そんな味で日常生活を送っている遥に僕の作ったものを食べさせていいものなのかという不安も過った。

「今度、行けば」

「えっ、子供が行けるところなの」

「大丈夫だろ、昼はランチとかやってるし」

「そうなんだ…」

全然知らないな…遥が働いてるところ、か。想像出来ない。この一週間は少ししか顔を合わせていない。夜ちょっとだけ、と手土産を持って現れたのが一回。水曜日はお店が休みで僕も補習が午前だけだったからお昼から会った。顔を合わせたのはその二日だけだ。

「あ、でも今週は会うんだろ?」

「うん、日曜日、プール行く。まおと、あと谷口くんとか宏太くんとか、みんなで」

樹くんも行く?と問うと、行かないと即答された。わかってはいたけれど、もう少しくらい迷ってくれてもいいじゃないかと思わず笑ってしまった。

「市民プールとかは連れていってあげたことあるけど、大きいスライダーがあるところとかはなくて…一緒に行きたいなって」

まおも小学生だし、更衣室は別々で入りたいだろうし、そうなるとはぐれそうで心配でどうしようかと谷口くんとそんな話をしていたら、俺も一緒に行けばいいじゃんと言ってくれた。それはすごく魅力的なお誘いだったし是非、と思ったけれどなんの解決にもなっていない。それを谷口くんが笑いながら自分で言って、高坂くんと三崎さんも誘おうって。三崎さんは快く頷いてくれて、まおもお姉さんが一緒だと言ったらすごく喜んでいた。そういうのは去年の打ち上げでファミレスに行って以来だなとしみじみ思った。まおからしてみれば大きくて大人に見える六年生のお姉さん、とは少し違う、もっと大きなお姉さん、だ。

「樹くんは、どこか行くの?」

「んー、ほとんどバイト」

「え、学校にも来てバイトも行ってるの」

「まあ。言うほど大変じゃないけど」

委員会はだるいけど、とあくびをこぼした樹くんといつも通り階段の手前で別れ、彼の委員会が落ち着いたら樹くんとは休み明けまで会わないかもしれないなと勝手に少し落ち込んだ。
それでも、今週末のプールは本当に楽しみで、まおもウキウキでカレンダーにつけた赤丸までの日数を毎朝数えている。そんな無邪気な天使を横目に、久しぶりに遥も一緒に出掛けられるという別の意味でも僕は楽しみだった。

あと三日、二日、あと一日、指折り数えてやってきた日曜日。まおと二人して無駄に早起きをかました。朝、遥が迎えに来てくれて一緒に歩いただけでも嬉しくて、まおを挟んで三人で手を繋いで待ち合わせ場所の駅へ向かった。既に谷口くんと宏太くんがいて、僕らとほぼ同時に高坂くんたちもやってきた。電車を乗り換えて少し遠くまで。けれどこの辺では一番大きいテーマパーク内に併設されたプールは、同様にとっても大きくて広かった。

「う、わー」

「すごーい!りんちゃんすごいね!」

「すごいね」

そりゃあ、学校や市民プールとは違う。テレビでしか見たことがないような大きなスライダーがあって…まおは身長が足りないからそれには乗れなさそうだけど…広い広い波のプール、大きな円になった流れるプール、屋内プールもある。それからたくさんの食べ物屋台。荷物をコインロッカーに預け、浮き輪に空気を入れてから太陽に負けないくらいキラキラ笑顔のまおの手を引いてプールに入った。緩やかに流れるプールは浮き輪につ掴まっていれば勝手に体が流されて、ひどく心地よかった。

「はぁ〜きもちーもう出れねー」

「きもちーね!」

「ねー、日差しが痛いけど」

まおには家を出る前に日焼け止めを塗り、ここについてからも髪の毛から足の先までスプレーをした。日焼けさせたくないというよりは、僕と同じ肌質で焼けると真っ赤になって痛がるから普段から弱めの日焼け止めくらいは使うようにしている。女の子だし、と。けれど子供らしく健康的に焼けるのももちろんいいと思うし、まおもそうなれるならした方がいいとも分かっている。ただそれ以上に痛がるのを見るのは辛い。

「うわっ、おい、こうた、ぷはっ」

「しょっぱいね!なんで?」

「海水プールだからな」

「うみ?」

「そう、海と同じ、海水」

「ふーん。あのすべるやつしたい」

「どれ?」

「あの青いやつ」

「宏太じゃ身長足りないよ」

プカプカと浮き輪に腕を突っ込んで流れる谷口くんと、その浮き輪の中ですぐ近くにあるスライダーを指差す宏太くん。それにつられてまおもやりたいやりたいと足をばたつかせた。
海とは少し違うけれど、それでも目にしみる感覚はあるし口に入ればしょっぱい。髪の毛もよくシャワーをしてから帰らないと、まおの細い髪が可哀想なことになりそうだなと思いながらスライダーの紹介看板みたいなものを目を細めて眺めた。

「あ、」

「ん?」

「保護者と一緒なら大丈夫って書いてあるよ」

「ほごしゃ?」

「そう、お兄ちゃんと一緒なら滑れるよ」

「ほんと?わーい、じゃあ行こ!」

谷口くんは唸りながらもはいはいと返事をして、僕らはもう一周流れてから水から上がった。

「大人は一人ずつ、だって」

「そりゃそうだろ」

思ったより全然並んでいないスライダーは3コースあって、僕とまお、谷口くんと宏太くんが先に滑らせてもらった。そのあと三人がそれぞれのコースから滑って出てくるのを谷口くんが、携帯のカメラを構えて待っていた。谷口くんが首からぶら下げていた防水ケースにはケータイや小銭が入れられて、そんなに便利なものがあるのかと感心した。さすがに大きなスライダーはそれも外さないといけないらしいけれど。

「おー!めっちゃいいの撮れたかも!」

「え、俺?」

「いや、高坂じゃない志乃。ほら音羽、見て」

「うん、どれ…」

笑いながら、谷口くんが見せてくれた画面には水しぶきと太陽の光でキラキラ輝く遥が写っていた。めっちゃいい、のはるか上をいく綺麗さを纏ったそれは、雑誌の表紙にありそうなほど上手く撮れていた。

「送っとくな」

「えっ」

「あとでみんなで撮ろ。それも送る」

まおの誕生日、入園式、運動会、発表会、なんでも写真を撮ってきたしそれがどんなに大切なものになるかも分かっている。分かっているから、去年の夏、遥と海に行ったときの写真は今でも見返すし、宝物だた。他の行事ももちろん同じように。それでもやっぱり、あの海は特別で、そういうものがまた一つ、もしかしたらこの先もう一つ、二つ、増えていくんだろうか。



prev next
[ 265/306 ]

bkm


 haco

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -