『降水確率は70%です 』
「あ、傘、まお!」
「なーにー」
「傘、今日降るかもしれないから、持って行って」
「はーい」
七月前半、明けきらない梅雨は憂鬱なテスト期間の気分そのものだった。無事に終わった前期中間はいつもと同じような結果で、ひとまず安心、というところだった。テスト前はちゃんと勉強出来たし、それなりに授業でも時間をとってもらえているから問題はない。ただ、テストとは別に奨学金と短大の推薦のことでも時間をとられ、疲れがたまっているのは事実で。
「りんちゃん眠そう」
「そう?平気だよ」
「んー」
「ほら、行こう」
「無理しないでねー!」
「あああ…天使…」
「りんちゃん急ご!」
天使だ。この天使のためなら何でも出来そう。どんよりとした空を一度仰ぎ、蒸し暑さに汗ばんだ首をハンカチで拭う。一緒に登校する子達は僕のことを覚えてくれて、最近は結構馴染めている気がする。今日も変わりなくまおと近所の小学生を見送ってから家に戻り、遥が来てから一緒に学校へ行く。
「あっついねー」
「ね」
遥は少し伸びた髪をまた切って、今ではすっかり爽やかヘアスタイルが板についている。変わったことは、あの球技大会の日以来水谷さんが遥に会いに来なくなったことくらいだろうか。あまり考えなかったけど、ふと、そう言えば最近来ないなと、思うようになって気づいた。その代わり、たまに廊下等で会うと僕に話しかけてくれるようになった。
「りんちゃん大丈夫?」
「何が?」
「こういう天気、苦手でしょ?」
「あー、うん、でも最近は平気。ありがとう」
彼女の中でどんな結論が出たのか、それはいまいちよく分からないけれど、“恋敵”としては喜んで良いところなんだろう
「りん」
実際問題その解釈が正しいのかも曖昧だけど、水谷さんはもう遥の恋人はどんな人なのかと聞いてこないし、僕に対してそういう話もしない。それでも何気なく話しかけてくるんだからそういうことにしておきたい。という願望も込みで、気にしないことにした。
「りんちゃーん」
「あ、うん?」
「夏休み、俺じいちゃんのとこでバイトするかも」
「えっ!そうなんだ、頑張って」
「うー、でもりんちゃんにも会いたいし、宿題もあるでしょ?だからまだちゃんとは決まってないけど」
「そっか…僕は夏休みも学校かも」
「えっ!?そうなの?」
「うん、補習とかで。まだ日程表もらってないから分かんないけど…毎日ではないと思う」
少なくとも土日やお盆はないだろう。それに先生の都合や僕らの都合で時間がとれない日は無理して来る必要はないし、他にも何人かいるから自分が来れる日だけでいいらしい。それでも一応面接練習や模擬試験みたいなものは出ないといけない。
「そっか…」
やっぱり、去年とは違う。けれど、遥が僕と同じようにそれを残念に思ってくれているなら嬉しい…というより、安心する、日ない気持ちを抱いた。遥がモテるのは今に始まったことじゃないし、もう慣れたと言えば慣れた。けれどそれでもやっぱり何処かで不安というストレスを感じているのかもしれない。
「メールするね」
「うん」
「電話もして良い?」
「良いよ」
中間考査を終えた学校はもう夏休みムードで、進学校というわけでも就職に強いわけでもないこの学校で、けれど三年生は三年生なりにそわそわしている。教室の前で遥と別れ、中へ入るとすでに登校していた森嶋が自分の席で勉強していた。朝のこの時間に生徒会室ではなく教室にいるのは珍しいなと思いながら挨拶をすると、眼鏡を押し上げた彼は「おはよう」と返してくれた。
「珍しいね、朝教室いるの」
「いつも通り来たんだけど、生徒会室ですることなくて」
「そっか、ごめん、勉強してたよね」
「ああ、いいよ、ノートまとめてただけ」
「…森嶋、夏休みの補習出る?」
「んー、全部は出ないけど学校には来るよ」
そりゃそうか、森嶋くらいになると塾に行くとか家庭教師を雇うかという選択肢なのかもしれない。「音羽は」と問うてくれた。
「僕は出るつもり」
「そっか。じゃあ僕も出ようかな…塾の夏期講習の応募しようか迷って、結局しなかったんだよね。自分で勉強すれば済むことだし、分からないことは先生に聞きに学校に行けばいいかなって。それなら補習出たほうが合理的かも」
森嶋は頭が良い。どうしてうちの学校にいるんだろうと思うくらい。実際、どのくらい勉強が出来るとかどこの大学を目指しているかとかは分からないのだけれど。少なくとも学年で一位をとれるくらいには優秀だ。
「森嶋でも、そういうこと考えるんだね」
「え?どういう意味」
「あ、いや、」
くつくつと喉をならして笑った森嶋に「勉強のことで困るように見えないから」と小さく続け、自分の席に鞄を置くため進む。背中に刺さる森嶋の視線に、荷物を置いてから振り返ると「真面目だからね」とまた笑われた。
「知ってる」
「志乃は?」
「補習?」
「うん、出るの?」
「あー…出ないんじゃないかな」
「そっか、寂しいね」
そうだねと、さらりと答えてしまった自分を恥ずかしく思うのと、「僕も参加しよう」と森嶋が決意を固めたのはほとんど同時だった。誰が参加するか僕は全然知らないし、森嶋が居てくれたら嬉しい。素直にそう思った。
「森嶋は、県外の大学行くの?」
「希望はね。でも卒業したら帰ってくるつもり」
「こっちで就職するんだ」
「まあ、実家に帰るとかは分からないけど、普通に地元かその周辺がいいかな」
森嶋が何の勉強をして何になりたいのか、全然知らないし想像もつかない。それでも心配にはならないのは、やっぱり彼がしっかりしていて真面目だからだろう。適当なことは言わないし、信用できる人間だから。
「じゃあ卒業したら、しばらく会えないね」
「音羽は家から通えるところ?」
「うん。受かったら、だけど」
「そっか。連休は帰ってくるから、連絡するよ」
少しずつ、けれど確実に進む時間に戸惑いながら、荷物を置いてやってきた遥を見つけて小さく手を振った。それに気づいた森嶋はおはようと遥に微笑み、手元に視線を落としてペンを動かした。それを横目に遥は中に入ってきて、他のクラスメイトがやってくるまでの少し時間こっそり手を繋いで他愛のない話をした。
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