結局、遥の応援にはいけないまま午前の部は終わってしまったうえ、谷口くんにもそれ以上聞けずじまい。僕なりに考えてみても、彼女が意外とロマンチック思考だったということしかわからなかった。
「りんちゃん!!」
「うわっ、」
「あー、結局お昼まで会えなかった〜」
「お疲れ様」
「どうだった?お昼からもりんちゃん出る?」
「出るよ。遥は?」
「…俺も」
もう出たくないなあと呟いた遥に、午後の部はリーグ戦に進んだクラスだけが試合に出るから、それ以外は必然的に自由になる。つまり、遥はきっとたくさん応援される立場だ。僕も応援したかったなと、それを少し羨ましく思ったけれど、流石にみんなの前では言えなくて飲み込んだ。一応、クラスも違うわけだし。
「あ、そうだ、りんちゃんさっき保健室行った?」
「へっ、あー、うん」
「どっか怪我したの?」
「ううん、僕じゃなくて。一年生の子が足捻って、付き添い?」
「そっか」
見られていたのか…でもそれが水谷さんということまでは分からなかったようで、それ以上は何も問われなかった。代わりに、昼休憩が終わって再びグラウンドへ向かう途中でこっそり手を繋がれた。多分誰からも見えてはいなかっただろう。それでもドキドキして、てのひらは汗でびっしょりになってしまった。こうやって、見られてないと思っていても見られていることがあるのだ、と思うと余計に。現に、水谷さんの言うことが本当だとしたら彼女には見られていた、と言うことになる。
「じゃあ、頑張ってね」
「ん、終わったら、すぐ行く」
「遥の方が勝ち残ってそうだけど」
「そしたら来て!」
「分かった」
名残惜しそうに離れた手がひらりと振られて、それに答えると谷口くんがニヤニヤして僕を見た。
「仲良しだな〜」
「ふ、普通だよ」
「耳赤くなってるって」
言われて慌てて両手で耳を塞いだけれど遅かった。谷口くんはカラカラと笑って「仲良しで何より」と僕の背中を軽く叩いた。
暑さのピークをすぎた体育館は午前より更に温度を下げ、ひんやりして気持ちよく感じた。リーグ戦に進んだ僕たちのチームは大健闘の三位入賞。ギャラリーの中に金髪はなかったから、遥はまだやってるんだろうとグランドへ急ぐと、かなりの人数と歓声で全然様子は分からなかった。
「決勝三年と一年だって」
「まじ?すげーじゃん」
「うわっ、あの赤い髪の人足早すぎ」
そんな取り巻きの声に、三年はやっぱり遥達のクラスかと悟ってなんとか見える場所を探した。キャーキャーとすごい声が飛び交う中、遥がバッターボックスに立った。そういえば前に樹くんが、遥はルールとかそういうの無視するから、体育の成績は思うほど良くなかったと言っていたことをふと思い出した。部活の公式戦というわけでも体育の成績に関わるわけでもないからそこまでシビアな判定はなさそうだけど…ここまで勝ち残ったところを見るとそれについての心配はいらなさそうだ。
「うわっ、あのピッチャーすごいな」
「球早い」
「って志乃も!豪快なスイング」
「あれちゃんと球見てるのかな」
「見えてても打てないから勘で振ってそう」
確かに。空振りしても見送っても、黄色い声援はやまない。遥はキャッチャーからピッチャーへ送球される度キョロキョロと周りを見渡す。自分を探しているのかも、なんて都合の良いことは考えなかったけれど、女の子に混ざって「頑張れ」と一言少し大きめに叫んだら遥がこっちを見た。
「おっ、気合い入った顔になった」
「そう?」
「愛の力、みたいな?」
「や、そんなことは…」
野球とか、テニスとか、直接球に触らない球技って個人的にすごく難しくて苦手だ。特に野球なんて、投げられた球をバットに当てるなんて…難しい。きゅっと顔を引き締めた遥は勢い良くバットを振った。
「あっ!」
「おーすげー」
バットに当たった球は綺麗な弧を描いて飛んだ。黄色い歓声の中、先に塁に出ていた樹くんが軽やかにホームに戻ってくると、そのあとに続いて遥も戻ってきた。まだ終わっていないのに、まるで勝ちが決まったみたいな盛り上がりだった。結果的に三年生の意地というものか、ソフトで見事優勝したのは遥のクラスだった。種目ごとの表彰と、入賞が一番多かったクラスの表彰をした閉会式では、日焼けで鼻を赤くした森嶋が締めの挨拶をして、無事球技大会は終わった。
「りんちゃん見てた?俺のホームラン」
「ホームランではなかった」
「樹には聞いてない。あのときりんちゃんの声聞こえたんだよ」
「やっぱり愛の力じゃん」と隣で谷口くんが耳打ちしてきて、また耳が熱くなった。遥も樹くんも、森嶋同様鼻の頭がじんわり赤くて、日に焼けたのがよくわかった。みんなと別れ、遥と二人きりになってからそれを触ると、遥は「帰ったら冷やすね」と少し照れたみたいに眉を下げて笑った。
「あ、俺今日はまっすぐ帰るね」
「え、あ、そっか」
「着替えたけど、足とか頭とか…土すごいついてるから。りんちゃんち汚しちゃいそう」
「ん、分かった」
それなら僕の家の方へ来ないで、そのまま帰宅した方が、と思ったけれど言わなかった。素直に、当たり前のように僕を送ろうとしてくれることが嬉しかったから。何が楽しかったとか疲れたとか、そういう話をしていたらすぐに着いてしまい、なんとなく離れがたくて鍵をさした手が止まった。
「どうかした?」
「、ううん。何でもない。けど、遥」
「ん?」
「ちょっと、だけ」
「なに─」
家には上がらないと言った遥の手をとり、玄関に押し込んで後ろ手にドアを閉める。遥は驚いたように目を大きくして、けれど、すぐにふにゃりと笑って抱き締めてくれた。
「ご、ごめん、汗くさいかも」
「全然くさくないよー。俺こそくさいかも」
くさくない。太陽の匂いがする。頬も少し赤くなった遥に顔を寄せ、上唇をその顎先に押し当てた。ああ、キスしたいな、なんて浅ましいことを思いながら。言えない言葉を飲み込んで視線を絡ませると、ゆっくり遥の唇が落ちてきた。かさついたそれが自分の唇に重なって、抱き締める腕に力が入る。
「はる、」
僅かに鼻の奥で汗と土の匂いがして、それがなんだか懐かしいもののように思えた。閉ざされた目を見上げてもう一度「遥」と呼ぶと、ドアが開かれた音に自分の声はかきけされ、あ、と思う頃にはもう遅かった。
「りんちゃんはるちゃん?」
「っ、まお、お、おかえり」
「……ただいま!」
慌てて顔を離しても、抱き合っていたのは一目でわかったはずだ。日頃ベタベタしているからあまり気には留めないかもしれない、けれど、ただいまという返事まで若干の間があった。困惑させてしまった。じんわりと熱の残る唇をまおに見上げられている気がして、慌てて手洗いとうがいをするよう家の中へ促した。
「はるちゃんはー?」
「あ、俺、今日は帰るんだ」
「そうなの?」
「うん、また、明日」
「うん!ばいばい」
パタパタと洗面所の方へ消えた足音に一つため息を落とし、微妙な距離を保っていた遥から一歩離れる。
「ごめん、まおちゃんに…見えちゃったかな」
「遥が謝ることじゃ…それに、まおもそんなに気にしてないよ」
「…そうかな」
「うん」
じゃあ、帰るねと寂しそうに眉を下げた遥に頷いて、向けられた同じように寂しげな背中を見送った。そのあともまおはとくに僕に問うてくることはなかった。けれど、もし仮に僕と遥が“そういう関係”であると理解したら…いや、それ自体は大したことじゃない。その問題以前にまおの“お兄ちゃんはホモ”とまおが嫌な思いをすることの方が一大事だ。何度だってそのことについては考えてきたし、それでもまずまおが理解できないうちは黙っておくしかないかと、直接的なことは言えないでいた。逆に、理解できないうちからこれが僕らだと刷り込むのもありだったんだろうか。
「りんちゃん、昨日買ってきたドーナツ食べたい」
「うん、食べようか」
「まおココア飲む〜」
「作り方教えてあげるから、自分でやってみる?」
「やる!」
「ん、じゃあコップ出して」
「はい!」
聞かれたら、きちんと言おう。まおが、僕らの関係に疑問を持ったその時は。
うまく言葉にできるだろうか、理解してもらえるだろうか、問題や不安は山積みで、僕はまおと遥を天秤にかけることが出来ないことに気づいて、こんな日が自分にもくるなんて考えたこともなかったなと、声が喉に引っかかってちくりと痛んだ。
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