「今日はありがとう、ぬいぐるみも」
「どういたしまして。行って良かった、楽しかったよ」
「良かった」
眠たそうに目を擦るまおに手洗いうがいを促し、自分も靴を脱いで廊下へ上がる。遥もそれに続いて僕の後ろをついてきた。
「りんちゃーん」
「んー?」
「お昼寝していーい?」
「少しだけだよ」
「うん、」
お昼寝なんて、今までいつの間にかしてたのに。着ていたパーカーを脱衣所のカゴにきちんと入れていったまおに30分で起きなかったら起こすねと告げ、階段を上がっていく背中を見送った。
「りんちゃん」
「わ、びっくりした、なに?」
朝干していった服を取り込み、からりと乾いたそれを畳もうと腰を下ろした僕に遥がぴたりとくっついてきた。なんだか、こういうところ、子供みたいだ。遥はまおの事をすごく可愛がってくれて、同じように遊んだり、手伝ったり、今日みたいにお兄さんとしても接してくれる。それでも、最初はまおに対する嫉妬みたいなものがあったのは事実だ。それが、今でもある、とまでは思わないけれど。まおが一緒に居るときとこうして居ない空間とでは、多少違いがあるのが現状。それは当然で、むしろ普通なことなんだろうと理解はしている。何にせよ、僕は遥のそういうところも意地らしくて可愛いと思っているのだから苦労はない。
「あの子と、何話してたの?」
「へ?」
「俺のこと待ってる間」
「あー、水谷さん、のこと…」
「……うん」
「何って言われても」
「ごめん、楽しそうだったから、なんか、気になって」
「えっ、と…まおのこと可愛い可愛いって言ってくれて、それで嬉しくて、つい」
「それだけ?」
「それだけ」
「そっか」
僕の邪魔にならないようにか、遠慮がちに抱きついてきた遥をそのままにもう一度「それだけだよ」と返す。
「ごめんね」
「遥が謝ることじゃないでしょ」
「…ん」
「僕だって…」
「なーに」
「なんでもない」
僕だって同じ。
「りんちゃん、服畳むの終わったらさ、」
「ん?」
「キスさせて」
ドキドキと、背中越しに感じる遥の鼓動が言い終わって沈黙が訪れた瞬間に早くなった。キスして良い?じゃない、その微妙な違いにどきりとして手が止まってしまった。
僕に答えを委ねるのはずるいと思っていたけれど、そういう風に言われたらもっと否定なんてできなくなるからそれもずるいなと、勝手に思った。 「手伝うから」と言うように、隣に移動してきた遥は少し気まずそうに口を尖らせて僕のTシャツを掴んだ。本当はこういうことを手伝ってもらうのは気がすすまないのだけれど、手際よく畳まれていくのが僕の服やタオル類だけだということに、一応遥なりに気を遣っているのが分かって素直にありがとうと言った。
たいして多くない洗濯物はすぐに畳み終わって積み上げられた。同時に随分日が長くなった外から差し込む光を浴びて、きれいな琥珀色に輝く髪がちらちらと視界の端に映る。するりと、頬を撫でようとのびてきた手を捕まえて顎をあげると、すぐに顔が近づいてきて唇が重なった。
「りん、」
テレビのついていない部屋は、秒針の音と自分の心臓の音が無駄に大きく響いているように思えた。それがなんだか余計に恥ずかしくて唇が離れた隙間で誤魔化すように「まおが、友達の家に、遊びに行くんだ、って」と声を漏らすと遥は律儀に返事をしてくれた。
「休みの間?」
「っ、ん…そう、なんか…嬉しいような、寂しいような」
変な感じ、続く声を飲みこまれて伝えられなくても、遥は言いたいことを察知したみたいに「俺も」と呟いた。
「俺兄弟居ないけど、居たらこんな感じかな、って、思う」
「…そっか」
「ん、」
触れ合う唇が徐々に怪しく湿り始め、舌が捕まりそうになったタイミングで家の電話が鳴った。あ、と声を上げて腰をあげると、遥は名残惜しそうな目をしながらも手を離してくれた。
電話は話題のたまちゃんからで、初めて聞く声はハキハキしていて、けれど少し、控えめな小さなものだった。少し待ってもらいまおを起こして電話を代わると、すぐにきゃっきゃと楽しそうな声が聞こえてきた。
明日の一時に朝の集合場所で待ち合わせになったよと、一旦僕を振り返ったまおは受話器をこっちに向けてくれた。たまちゃんがどこで合流しているのか僕には分からないからそこまでは一緒にいくねと微笑む。
「うん、代わるよ」
僕も話させて欲しいと言ったことを覚えていたらしい、なんて良い子なんだろう。交代したあともじっとこっちを見上げていて、もう健気なその姿に涙が出そうになるほどだった。
「はい、じゃあ明日、よろしくお願いします」
たまちゃんのお母さんは落ち着いた声で、優しさが電話越しにも伝わってきた。
「じゃあ…俺、明日りんちゃんが送りにいく間留守番してていい?」
「え、行かないの?」
「えっ、いいの?」
少しの昼寝でスッキリしたのか、まおは畳んだ洗濯物を抱えて、それぞれの部屋へ運んでくれた。それにお礼を言いながら、横目で遥を見ると驚いたように目を大きくしていた。逆になんで留守番なのなと聞くと、遥は気まずそうに視線を落とした。
「いや、俺が一緒だと怖がられない?」
「は?」
「ほら、まおちゃんの友達でしょ?まおちゃんは見慣れてるから良いかもしれないけど…」
「大丈夫だよ、全然」
確かに金髪、というのは驚かれるかもしれないけど。今はそれより“格好良い”が圧倒的に勝っているし、何より怖いと思わせる雰囲気はもうほとんど感じられない。それに、遥に直接関係のあることではないのだから気にしなくて良い。それで僕らが嫌な思いをしたらなんて僕らは考えもしないし、なったらなったときに考えれば良い。現に、遥は乱暴な言動もないし普通に喋ってれば人当たりも良い。…すり寄ってくる女の子たちには冷たいけど、それ以外では本当に優しいのだか。
「……じゃあ、一緒に送ってく」
「うん」
タンタンとまおが階段をおりてくる音を背に、ぱっと遥の顔に手を翳して一瞬触れるだけのキスをした。それだけで顔を赤くするなんて、きっと誰も知らない。段々、僕だけが知っていることがみんなも知っているに変わっていく。不良だと言われていても実はそんなことなかった、みたいに。僕だけが知っていれば良いと思っていたことを、他の誰かも知っていく。それを悔しいと思っていたけれど、こうやってまた一つずつ新しく知っていけるなら良いかなと、そっと微笑んだ。
─ to be continue ..