「まお、出掛ける準備しよう。ドリルとノート閉じて─」
「えんぴつは筆箱!」
「うん、偉いね」
「へへ!」
てきぱきとテーブルの上を片付け、二階へ掛け上がると薄手のパーカーを羽織っておりてきた。天気がいいから暑いかもしれないけど、寒くて困るよりは良いかと自分も一枚上に羽織ることにした。
「りんちゃーん、戸締まりしたよー!」
「ありがとう」
「ちゃんとはるちゃんに見てもらったよ」
「遥もありがとう。行こっか」
まおを間に挟んで三人で手を繋いで歩き出すと、まおが「なつかしいね」と呟いた。たぶん、久しぶりだね、と言いたかったんだろう。その微妙なニュアンスの違いはけれどちゃんと理解できて、久しぶりだねと頷いた。
小学生になってまだ一ヶ月ほどなのに、急にしっかりしてきた。それでも握る手は小さく、僕には変わらずとても大事だ。三人で並んで歩くこの久しぶりの感覚もひどく嬉しい。パステルピンクのパーカーが良く似合う天使に微笑まれ、遥も「ね」と頷いた。
「ひろみ先生いるかな〜?」
「いるといいね」
「うん!」
駅が近づくにつれ行き交う人が増え、会場となっている場所につく頃には普通にたくさんの人がいて手は離せないなと思った。遥にそれが伝わったのか、「やっぱり手離さないでおくね」と笑われた。
ハンドメイドのアクセサリーや雑貨、古着。食べ物を売るテント、去年と変わらないそこを三人で手を繋いでまわり、見慣れた保育園の名前が書かれたスペースを見つけた。
「あ、まおちゃん!」
「せんせー!」
先生と会うのも二ヶ月ぶりだ。久しぶりに見その笑顔と、変わらない明るい声にまおは僕と遥の手を引いて駆け寄った。
「久しぶりだね」
「ね!」
「こんにちは、お久しぶりです」
「こんにちは。今年も来てくれたんだね」
「まおも来たいって言ってたので」
「お友だちさんも…」
二ヶ月ぶりの男前に目を細め、ぽっと頬を染めた先生に苦笑いを漏らしつつ、離されたまおの手を見下ろす。そしてそれが「あれ可愛い」と指差したのは、去年買ったものと良く似たぬいぐるみだった。
「しーちゃんのお友だち」
「似てるね」
去年のことを覚えている、今年のことも忘れないでいてくれるだろうか。もちろん覚えていたとしてもそれをこの先もずっと覚えていられるか、そこまでは分からない。それでも同じように、僕が遥と仲良くしていたことを覚えていてくれたら嬉しい。
「買って帰ろうか」
うーんと小首を傾げて悩むまおの横にしゃがみこみ、レジャーシートの上に並ぶ人形やママさんたちが作ったらしいハンドメイドのものを眺めると「今日はいい」と、まさかの答えが返ってきた。
「いいの?今日しか買えないよ?」
「うん、しーちゃんにはまおがいるもん」
「遠慮しなくていいのに」
「んーん、してないよ!」
本当は欲しい、まおの輝いた目は確かにそう訴えている。気がする。先生もそれを感じているのか、少し困った様に肩をすくめて笑った。じゃあ行くよと手を引くと、一瞬だけ名残惜しそうに視線を向け、それでも素直に歩き出した。それを隣で見ていた遥も口元を緩めてまおを見下ろしていた。
「遥、行こう」
「うん、ちょっと、俺トイレ行ってくるからあそこのベンチで待ってて」
言いながら、遥はそっと口に人差し指を添えていた。まおは「分かった!」と軽い足取りでベンチへ向かおうと僕の手をぐいぐいと引っ張った。
「はるか、」
「いいから」
どうやら遥がプレゼントしてくれるらしい。高いものでは無いけど、さすがに申し訳ないから後でお金を返そう、そう思いながらベンチに腰を下ろした。休憩スペースになっていたそこは結構人が居て、はぐれたらまた見失ってしまいそうだった。まおにリュックに入れてきたジュースを差し出すとごくごくと良い飲みっぷりを見せてくれ、それに笑ったのと同時に「あ、」と声をかけられて顔を上げた。
「あっ」
「おとは、先輩?」
「水谷さん」
二つに結った柔らかそうな髪を揺らし、なんだか最近同じようなことがあったなと思い出す。荷物運びを手伝ったときか、と一人頷くと僕より先にまおが素早く反応して「りんちゃんの友達?」と声をあげた。
「りん、ちゃん?」
「ごめんね、僕のこと」
「あー…」
「違うのー?」
きゅるん、と音がしそうな可愛すぎる目で見上げるまおに、水谷さんは眉を下げてしゃがみこんだ。見慣れた制服ではないせいか、いつもより少し幼く見える彼女はそれから目を見開いてまおを見た。
「と、友達!友達だよ、」
「ともだち!じゃあまおも友達!」
「まおちゃんっていうの?」
「うん」
「まおちゃん…あ、なぎさです、よろしくね」
少し大袈裟な握手をした二人に苦笑いを漏らすと水谷さんと目があった。気まずそうに口を尖らせ、そのまままおを抱き上げた水谷さんは「こんなに可愛い妹、いたんですね」と不服そうに呟いた。いや、いいんだけど、不服でも僻みでも羨望でも。何でも良いけど、水谷さんがまおのことを可愛いと呟くのに悪い気はしない。だからこちらとしても可愛いでしょ、と言うしかない。
「ほんとに可愛い。もう天使じゃないですか、まおちゃん」
「分かる?そうなんだよね、天使だよね」
「まおはまおだよー?」
「はああ〜可愛いね、ほっぺも可愛い。触っても良い?」
「いーよ!」
「はあぁぁ〜柔らかい、うわ、手も可愛い」
水谷さんはしばらくまおを舐め回すように眺めたり触ったりして、ようやく解放する頃にはすっかりいつもの刺々しさは消えていた。
「好きなんです、子供」
「そうなんだ」
「でも、似てないですね、先輩と」
「あはは、そうだね。まおは特別可愛いからね」
「……連れて帰りたい」
「それは困るかな」
「分かってますよ」
小さい子が好きなのか、今の態度を見ていれば納得のことだ。まおも可愛いと連呼されて自慢げにしているし、それさえも可愛いんだからもう辛い。
「先輩、二人ですか?」
「え?ああ、二人じゃないよ、はる─」
「りんちゃん!!」
遥も、と続く声を遮って片手にさっきまおが見つめていたぬいぐるみを抱えた遥が視界に入り、すぐに僕と水谷さんの間が広がった。ぬいぐるみはそのまままおの胸に置かれ、まつげの長い可愛い目がさらに大きくなった。おかげで僕らの会話から意識が逸らされた。
「何してんの、りんちゃん」
「えっ、何って…水谷さんと偶然…」
「偶然?」
偶然以外何があるんだ。
というか、この状況は僕の方が機嫌を悪くするのが妥当だと思う。現に、水谷さんは私服姿の遥に目を輝かせていて、僕なんて眼中にない。確かに、恋人とそのライバル?が自分のいないところで言葉を交わしていたなんて遥も嫌だと思うけど…
「そっか。じゃあもういい?行こ」
「えっ、はる」
「悪いけど、もういい?」
「へ、あ…」
遥は片手でまおを抱き上げ、もう片方の手で僕の腕を掴んだ。水谷さんは遥に見とれていたせいか、返事に戸惑って首を縦に振った。休みの日に友達とその妹と出掛けるなんて、さすがに変だと思っただろうか。背を向けて、「じゃあね」と声をかけた僕に視線を映した水谷さんは、もう一度縦に頷いた。
「おねーちゃんまたね!」
遥に担がれるようにだっこされるまおがぶんぶんと手を振ると、ようやく我にかえったのか、手を振り返してくれた。やっぱりこの男前は相当男前なんだなと、思い知ったのと同時に掴まれた腕が思いの外痛くて慌てて歩幅を合わせた。
「なぎさちゃん、また会えるかな」
「どうかな〜」
「会えると良いね」と言おうとして、遥と目があいそれは飲み込むことにした。正直、子供好きでまおのことを天使と言ってくれた水谷さんに、悪い子じゃないと思ったことを悟られたのか、釘を指すように遥が言う。
「りん、ダメだよ、気を付けないと」
「気を付けるって 」
何を、と聞けなかったのはトイレで破廉恥なキスをされたことを思い出したから。まおの前でそんなことを思い出して、顔を赤くしているなんてバレたら嫌だなと、視線を逸らした。
「りんちゃんどうしたのー」
「なんでもないよ」
「ふーん」
「まお、ぬいぐるみのお礼、ちゃんと言った?」
「あっ!はるちゃんありがとう!」
「どういたしまして」
「でもまお、我慢したよ?」
「俺がまおちゃんにあげたかったの」
ね、とそれはもうまおに負けないくらい天使みたいな微笑みを浮かべた遥に、ぐらりとめまいがした。水谷さんもどこかでなにかやっていたのかも、なんて考える間もなくて、僕らは三人ではぐれることなくその日一日を楽しんだ。何事もなく…一応…家につく頃にはまおは遥に貰ったぬいぐるみを抱き締めてうとうとしていた。
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