「あ、」
「志乃先輩のとりまき」
「…こんにちは」
「……こんにちは、です」
昼休み、呼び出された職員室から廊下に出だ瞬間だった。彼女は大きな箱を腕に抱えていて、それでも僕の挨拶には答えてくれた。いつもの威勢の良さはどうしたのか、どことなく気まずそうにもとれる声で。
「……」
「……」
「……それ、どこまで持ってくの?」
「え、教室、です」
「五組だったっけ、あー…村田先生か」
僕が一年生の時の担任だ。学級委員になんでも仕事を押し付けてくれる先生だ。まあそれでも、やるべきことはきちんとしている先生ではある。だから僕も何だかんだと請け負っていたなと、少し懐かしく思った。
「水谷さん学級委員なんだ…って、え?なに?」
「あっ、いや、覚えてると思わなくて」
「へ、」
じっ、と見上げられて言葉を濁すと「組」と一言の答えが発せられた。聞いたのは一度、それも教室で周囲からすごい視線を向けられている中。だれもそこには意識を向けていなかったと思ったんだろうか。何にせよ、やっぱりいつもより元気がない気がする。いや、遥に話しかけるときだけ元気なのかもしれない。
「志乃先輩は、覚えてないと思います」
「あ、あー…それは分かんないけど」
「……」
「手伝うよ。持ってくの」
「えっ」
「重いでしょ。僕も一年の時村田先生担任だったんだけど、学級委員になんでも頼む先生だから」
「……」
こんなところ、遥に見られたら大変だな、と気付いたときにはもう遅く、細い腕は一度躊躇ったあと素直に僕に箱を差し出してくれた。水谷さんはその中から落ちそうになっていたポスターを丸めたみたいな筒を取り出して胸に抱えた。
あ、これは…あれだけ気が強そうにしていても重い。一階から四階までこれを持って階段を上がる自信は最初からなかったのかもしれない。女の子だし。あ、だから元気なかったのかも、なんて能天気なことを考えた僕に、水谷さんはありがとうございますとお礼を言い、続けるようにぽつりと言葉を漏らした。
「無理、だったんで」
「…重いもんね」
「……と、いうか…わたしのこと手伝うとか、よく言えますね」
「え?」
「え、って…わたし、めちゃくちゃ印象悪いし志乃先輩の友達とかからも嫌な目で見られてるし」
「あ、はは、それは…」
「いいです、それは別に。好きな人に好きって言ってるだけだし…周りから色々言われてるのも知ってるし…」
無鉄砲な感じだと思ってたけど、ちゃんと分かっているらしい。怖いもの知らず、というわけではないんだ。でも僕が何か言って良い立場なのかも微妙で視線を逸らすと、水谷さんとすれ違う女の子の異質なものを見るような目に気付いた。
それで思い出したのは、村田先生が到底一人じゃ出来ないような頼み事をするのは、周りに頼れよっていう意味を込めていたことだった。僕がそうだった。うまく馴染めていない事を気にかけてくれていたんだと知ったのは、僕が初めて森嶋に頼まれごとを手伝ってもらったとき。田村先生がにこやかに「おー良かった良かった」と豪快に僕の頭を撫でたのだ。あの時みたいに、思っているのだろうか、彼女に対して。まだ新学期が始まって一ヶ月も経っていないけれど、遥へのアピールとかもろもろで謙遜され気味なのは分かる。女の子は特に、そういうのに敏感そうだから…まあ、だからといって友達は居ないのかとか、いつでも僕に声かけてよとかは言えないけど。一応、恋敵、なわけだから。
「先輩、志乃先輩の彼女どんな人か知ってますか」
「え…っと…どうかな、あんまり詳しいことは知らないけど」
「ですよね、そんな感じする。他の友達とかは結構ガミガミ言ってくるけど、先輩は言わないし。知らないのかなって思ってました」
僕が遥の恋人です、なんて…さすがに言えないから苦笑いで誤魔化すと、「何で志乃先輩と仲良いんですか」と真顔で聞かれてしまった。
「何でって言われてもな…」
「きっかけとか」
「同じクラスになってから、かな」
本当のことは言えない。それでも水谷さんは少し納得したのか、下唇を噛んで「羨ましい」と呟いた。遥のどこが好きなんだろう。何が好きなんだろう。自分が好きな人だから、もしかしたら同じ部分を好きなんだろうか…いや、僕が好きだと思う遥を、この子は知らないはずだ。
「あ、ここでいいです」
四階につくと、水谷さんは持っていた筒を箱に乗せて僕の手からそれをさらった。教室まで運ぶと言えば、それは遠慮しますと丁重にお断りされてしまった。
「でも、ありがとうございました。ほんと、助かりました」
「…どういたしまして」
「じゃあ、失礼します」
揺れる髪を眺めながら、もし遥が水谷さんのああいう部分を知ってしまったら、とふと思った。もちろん彼女に限ったことではない、遥が僕を好きになったというきっかけの相手が、もし…
「自分じゃなかったら…」
ぞっとした。今からでも充分にあり得る。
最初がそうだった。僕には遥と仲良くする気なんて全くなかった。なのに、寄り添われているうちに好きになっていて、今ではもう手放せない。急に怖くなってももう遅い、階段をおりようと踵をえすとすぐ後ろにいた人にぶつかってしまった。
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