「志乃〜呼び出されてるけどどーする?」と言うその声に一瞬教室内は静かになり、すぐにざわついた。それくらい衝撃的だったのだ。スリッパの色は一年生、まさか直接呼び出す度胸があるなんて…と。しかも、手紙にしても通りすがりに声をかけたにしても、遥が話を聞いた試しはないというのに。
「居ないって言って」
「いや見えてるけど。…てことで、いないらしいよ」
「……」
顔はよく見えないけれど、二つに結ったふわふわの髪が特徴的なその子は、一瞬俯いてから何かを決意したように顔をあげて中に入ってきた。「え、」と、思わず声を漏らしたのは谷口くんだけじゃないだろう。その子は一直線に僕らのところへ来て、足を止めた。
「あの、」
「……」
「あの、志乃先輩」
一声目は無視をかました遥も二度目の呼びかけに目だけは彼女へ向けた。
「話が、あるんですけど」
「…なに」
「ここで、告白して良いんですか?」
「別に、良いけど」
いや良くないよ。なんて僕の意見を述べる隙もなく、その子はゆっくり遥の腕を掴んだ。
「好きです。付き合ってください」
「無理です」
本当にすごい度胸。けれどそれをあっさり間髪いれずに打ち砕いた遥もすごい。付き合っている身としてはこれ以上安心することはないから、少しだけ嬉しくもあったのだけど。
「付き合っている人がいるって、本当ですか?」
「本当」
「じゃあ写真とか見せてください」
「なんで」
「じゃなきゃ納得できません」
「別に、しなくていいよ」
「じゃあ諦めません」
「迷惑だから」
「ちょ、志乃、君も、ちょっと落ち着いてよ。ね、ほら、教室だし」
「わたし、志乃先輩と話してるんですけど」
どうどうと落ち着かせようとした谷口くんにまで強い口調は飛び火して、あげくのはてには殺すんじゃないかってくらいの目付きで谷口くんを睨んでいた。
「あのさ、志乃の彼女、まじで可愛いよ。料理とか家事は何でも出来るし、頭も良いし、優しくて思いやりもあるし。君みたいに自分勝手なこともしない。常識もあって、君が入る隙間、ないと思うけど」
「一年五組の水谷なぎさです」
そこなんだ、谷口くんの渾身の褒め殺しをスルーしてそこなんだ。その言葉の全部が僕に当てはまると思って言ったのかは謎だけど、そこまで言う谷口くんも相当頭にきているのかもしれない。
「谷口くんの言う通りだから、もう出てって」
「……」
「分かんない?」
「…分かりました、失礼します。でも、また来ます」
最後まで強気な水谷さんは、教室からも廊下のギャラリーからも、すごい視線を集めて出ていった。遥の態度を目の当たりにした周りの子は、流石にやばいと思ったのかそそくさと散っていった。
「スゲーのに惚れられたなあ」
「嬉しくない〜」
「音羽?どうかした?」
「へ、あ、ううん、なんでもない」
「大丈夫か?」
「うん、平気。すごいなーと思って」
本当にそう思っていた僕に、遥はやんわりと手を繋いできて「ごめんね」と呟いた。遥が謝ることじゃないよと言っても、しゅんと垂れた耳と尻尾が見えた気がしていたたまれなくなってしまった。水谷さんも、あんなに怖い顔をしていなければ、きっと可愛らしい雰囲気を出せるだろうに。女の子なんだからと、少し引け目を感じたことは胸の奥に押し込んだ。どちらかと言えば可愛らしい、に入るであろう彼女の、けれど意思の強そうな目が印象的だった。無差別に、怖いなとも、同時に思った。
その日、遥は学校帰りにそのまま美容院へ向かった。まおのお迎えがなくなった今、帰りに買い物をしようとスーパーに寄ると、時間を気にしなくて良い分意識が散漫になるのか、どうしても買い忘れがでるようになってしまった。それでも一人で買い物を済ませて帰ると、美容院中の遥からメールが来た。
「終わったら会いにいっても良い?」という旨のそのメールに、オーケーの返事をする。まさか今日中に見られるとは、なんて浮かれぎみに食材を片付けた。
まおは僕より先に帰っていて、もうリビングで意気揚々と宿題を広げている。ちゃんと戸締まりもできるし、最近はご飯のお手伝いもお皿だしだけじゃなく、野菜を切ったりまでしてくれる。本当は少し怖いけど、そんな成長が見れることはすごく幸せだ。
「りんちゃん」
「んー?」
「今日はるちゃんは?」
「もう少ししたら来ると思うよ」
と言っても、顔を見に来るだけだと思うけど。僕に一番に見せに行きたいと思ってくれただけでも充分嬉しい。まおもきっと遥の変化に気づいて満面の笑みを浮かべるのだろう。
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