新学期、まおを登校班の集合場所まで送り届け、僕は遥と三年生最初の学校へ向かった。生徒玄関に貼り出されたクラス名簿から自分の名前を探す人で溢れたそこへ。
「あ、」
「あっ、音羽志乃おはよー」
「おはよう谷口くん」
「もう見た?クラス」
「まだ、見つけれてない」
アスファルトに落ちた桜の花びらを避けてなんとか見える位置へ。僕が自分の名前を見つける頃にはもう、遥は人混みを抜け出していた。
「遥、」
「やだ帰りたい」
「ほら、もう教室すぐそこだよ」
「……」
「ごめんな志乃、俺だけ音羽と一緒で」
「ずるい」
結論から言えば、予想通り遥とクラスは離れてしまった。谷口くんとは同じだったけど、ぱっと名簿を見た中で知っている名前は少なくて。それでもその中には森嶋や三崎さんの名前があるのは分かった。
「いいじゃん、三年って選択多いし、かぶってるのあるだろ、少しくらい」
「……」
遥は樹くんと同じクラスだ。まだ登校してきていないであろう彼に、電話で教えてあげようかとも思ったけど、ちょっと酷な報告になるかもなと、やめておいた。三年の教室は階段を一つ上がった二階で、去年までと階が一つ違うだけなのに昇降口から随分近くなった気がする。それでもそのフロアの端から端までを見たらそれなりに長く、実際僕の一組と遥の四組は結構離れているように見えた。
「まー安心しろって、ちゃんと音羽のこと見とくし」
「……」
結局最後までむすっとした顔をしていた遥の背中を見送り、四組の教室に入るのを見届けた。一年前は“志乃遥”に話しかけられて、しかも隣の席でやたらと絡まれて本当に意味がわからなくて怖かったのに。今じゃ別々の教室になったことを寂しがる関係になっているなんて。考えもしなかった。というか、そんなことになるなんて誰が予想できただろう。
「音羽、俺らも入ろ」
「あ、うん」
黒板に貼り出された座席表に目を通してから自分の席に鞄を置くと、サイレントモードの携帯がチカチカと光るのが鞄の隙間から見えた。一体誰だろうと思い開いてみると、「頑張る」の三文字だけが並んだ遥からのメールだった。何を返したら良いのわからず、僕も、とよく分からない同意をしておいた。
「続きまして、生徒会長挨拶」
一限のホームルームで軽い自己紹介を済ませ、すぐに始業式の為体育館へ移動。一組と四組では列も離れていて、しかも列の前の方にいる僕からは遥を見つけることはできなかった。それでも、新入生からしてみれば一人金髪頭の長身は目立つだろう。もう噂になっているかもしれない。
僕がそんなことを考えている間にも、登壇して頭を下げた森嶋が淡々と季節の挨拶から生徒に向けて言葉を述べていた。そうか、森嶋はまた生徒会長だ。随分長く生徒会に在籍しているけれど、流石にこの前期で最後だろう。絶妙な早さで言葉を紡ぎ、程よい短さで締め括られた生徒会長挨拶。すべてが終わり、各クラスごとに教室へ戻るよう指示を出された。その瞬間、緊張が解かれた体育館内のあちこちから「見た?」「イケメンいた!」「ほら、あの金髪の人」なんて声が飛び交い出した。
「志乃スゲーな。もう噂じゃん」
「ほんと…」
「そりゃ目立つよなー。派手だし格好良いし」
「一年生からしてみたら、余計に目立つよね」
「あー、それな。二、三年は志乃に年上の彼女がいるって広がってるし、わりと志乃が冷たいことも認知されてるし…」
気だるそうに人の波に押し出されて体育館を出ていくその背中は、さっき教室に入るまで見ていた背中より疲れているように見えた。
「こりゃこえーな、音羽」
「えっ、なに?」
「いやいや、恋敵が増えるかもってことじゃん?」
「あ、あー…まあ」
まさに谷口くんの言う通り。遥がどうこうって言うより、もう“不良グループのリーダー”というレッテルが無くなった今、有無を言わさずモテるのが現実。それを面白く思わないのは僕の方だし、クラスが離れて不安になるのも僕、駄々をこねて一緒にいたいのも僕なのに。遥はひたすら僕の心配をする。それを遥に教えても、一度納得した風な返事をして、けれど変わらず僕の心配ばかりする。谷口くんの、志乃ってほんとに揺るがないよなと失笑する声に僕の口元も緩んだけど、一日目でこんなに噂になってもらっては確かに怖い。
そして、その不安は新学期二日目から爆発寸前になるわけなんだけど。
「…何やってんだよ」
「あ、おはよう樹くん」
「ああ、おはよ。何、遥どっか痛いの?」
まおを保育園に送り届けてから登校、という朝の行事が少し形を変え、遥がいつも通りうちに来る時間にはすでに僕は集合場所までまおを送り、家に戻っている。だから少しゆっくりめに家を出て、学校までの道を二人で歩く。学校には去年まで通り少し早めに着くのだけど、その学校の昇降口で遥が急に下駄箱にもたれ掛かった。まだ登校してくる生徒の少ない中、珍しく早く現れた…朝会うことがあまりないだけでいつも早いのかもしれないけれど…樹くんが、とんとんと遥の肩を叩く。
「分かんない。下駄箱に手かけたまま項垂れちゃって」
「なんだそれ。おーいそこ邪魔なんだけど」
「うるさい」
「なんだよ喋れんのかよどけよ」
「もーうるさいってば!」
「じゃあさっさと靴履き替えてどけ」
半ば強引に樹くんが遥の下駄箱を開けると、数枚の便箋がはらりと足元に落ちた。
「あ?」
「何これ」
「手紙じゃん」
「手紙?」
「は?なに、遥これ見て項垂れてたんじゃねえの?」
「え、違う。靴履き替えちゃったらりんちゃんと教室で別れるまですぐだから」
つまり、時間稼ぎ、ということだったらしい。まあそんなことは教室に荷物を置いてから会いに行ったって良いし、明日からもう少し遅めに家を出たって良いし、解消法はいくらでもありそうだけど…
「ほら、とりあえず靴」と遥を促しながら、僕は腰を屈めて落ちた封筒を拾った。可愛らしい字で書かれた「志乃先輩へ」という文字に胸をざわつかせて。昨日の今日でラブレターって…いやもちろん、全部が全部一年生とは限らないけど。
「四通って。どうした急に」
「知らないよ。りんも、拾わなくて良いから」
「このまま置いとけないでしょ」
「でもいらないし…」
むすっとしながらも渋々受け取ってくれた遥と、速やかに上履きに履き替えた樹くんと、なんとなく並んで階段をあがった。その途中で、ふと遥と樹くんが同じクラスということは「樹くんも就職希望なんだね」という疑問が生まれて呟くと、少し短くなった赤髪を揺らして「まあ」と答えてくれた。
「そうなんだ」
「実家継ぐかなーって感じ」
「花屋さん?」
「うん」
「えっ!すごいね」
「似合わないってか」
「そんなことないよ」と言いながら、花屋に入ってこの風貌の店員さんがいたら驚くだろうなと思って口元が緩む。それを見逃さなかった樹くんは何も言わずに僕の腕を軽くつねった。
「もー!樹うざい!りんといちゃいちゃしないでよ!」
「はあ?してねーだろ」
「してるじゃん」
「お前が喋らねーから二人で喋ってるだけだろ」
二人が言い合いを始めたところで僕の教室についてしまった。3-1という標札をちらりと見上げた遥は大きなため息を落とし、僕に軽くハグをしてから「あとでくるね」と言って四組の教室へと歩いていった。
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