翌日、“卒園式”という文字の横で三人並んで写真を撮ってから、僕は母さんとまおが園内に消えるのを見送った。何時間か後にはまおを迎えに来るのに、ひどく寂しくて涙が出た。このまま式を見守りたいとも思うけど、母さんがいるんだから大丈夫と言い聞かせて、一人家路についた。途中で遥から電話があって、いいタイミングでうちについた。遥に付き合うのは了承した、でもいつも通りやってきた彼の腕には見慣れないものがあった。
「あ、花…」
そう、花、だ。昨日樹くんと電話で話していた花だろう。遥はユリの花束を抱えて、何でもない顔で「行ける?」と問うてきた。これは触れて良いことなのか何なのか分からないまま頷くと、遥は何も言わずに僕の手をひいた。ガサガサと淡いピンクの包みが音をたて、中の白と薄ピンクのユリが揺れた。
「りんちゃん、泣いた?」
「へっ、」
「鼻、ちょっと赤い」
「うそ、分かる?」
「少し。そっか、泣いたんだ」
「そんなに泣いてないよ。ちょっと、だけ」
鎌をかけられた。まあいいんだけど。涙が出たのは事実だし。
それでも少しむくれ気味に遥について行くと、最寄りのバス停からバスに乗った。普段あまり乗らないバスは見慣れた道を進み、しばらくして足を運んだことのない商店街の前を通りすぎた。それから大きな公園の近くのバス停で降りた。
「遥、どこ行くの」
「んー、もうつくよ」
それは質問に対する答えではなかったけれど、すぐに見えた恐らくその行き先に、僕は口をつぐんだ。バス停からすぐ、公園の賑やかさはないそこは本当に静かで靴が土を踏む音が聞こえるほどだった。
「あ、はる…」
はっとして、遥が足を止めたその正面にあったものを大きな背中越しに見つめた。“志乃家”という字に、それは紛れもない、遥の母親のお墓だと悟る。
「今日ね、命日なんだ」
遥は抱えていた花束をそこへ置き、膝を折ると墓石を見上げるようにしてもう一度「命日」と呟いた。もう三年か、と誰に言うでもない遥の小さな小さな声が朝の空気に溶ける。
「命日…」
「母さんの」
「そうなんだ」と、確かに返したつもりだった。
父さんがいなくなってから、僕も幾度となくお墓参りに足を運んだし、明けない悲しさや寂しさとやり場のない喪失感は今でも胸の中にある。けれどそれでも母さんが頑張って僕らを育ててくれて、まおが生まれてすぐにいなくなってしまった父さんにとって、きっとまおは僕たち家族への最後の贈り物だったんだと勝手に思っていた。
そんな僕とは違う思いを秘めて、遥はここに来たんだろうか。僕には計り知れない苦しみを、遥はここに来ることでどう感じるんだろう。
「俺ね、母さんがここにいるって知ったの、去年なんだよね」
「へ…」
「父さんが教えてくれるわけなかったし、けど俺は母さんが死んだ日を覚えてて、じいちゃんに聞いたんだ。お墓参りに行っても良いかって。場所を教えてって」
そして教えられたのがここで、一人で一度だけ来たという。少しの沈黙のあと、振り返った遥はどこか痛むような顔で僕を見た。
「ごめんね、お墓参り付き合わせて」
「…ううん」
「迷惑だったかな。でも、俺、母さんにりんのことちゃんと知ってもらいたくて…意味、ないかもしれないけど」
「遥…」
きっと遥は一生、“自分は母親を殺した”と戒め続けるのだろう。そんな直接的な言い方は間違っているとしても、結果的に自分が原因だったという答えに、囚われ続けるのだろう。それでもきちんと向き合おうとする遥に、眉を下げて笑う遥に、僕は一歩前に出た。
墓石に並ぶ漢字をどう読むのかは分からない。それでも上から下まで文字を追い目を閉じた。合わせた掌は冷たいのに少し汗ばんでいて、緊張しているのかも、と気付く。
「りんちゃん─」
僕は心の中で、遥は精一杯生きていますと、遥を残してくれてありがとうございますという感謝と最後に、僕は遥が好きだという告白の言葉を呟いた。遥のお母さんは、遥のことをどう思っていたのか、聞いたって答えは返ってこないけれど、それでも少し位は後悔しているはずだ。まだ少しへたれだけれど、それでもこんなに立派に大きくなったところを見られなくて。
そろそろ行こうと手を引かれたのは、それから少ししてだった。来たときよりも賑やかな声の響く公園を横目に通りすぎ、僕らはバスに乗り込んだ。
「りんちゃん何話したの?」
「代わりに僕が遥くんの成長を見ていますって」
「なにそれ〜それだけ?」
「秘密」
遥こそ何を考えていたのかと聞いたら、なんとも涼しい顔で「ごめんなさいと、頑張ってることと、あと、りんちゃんと付き合ってますって」と言った。苦しくても辛くても、こうやって穏やかに笑えるならそれでいいのかもしれない。囚われ続けても頑張ろうと思えることがあって、好きな人が居るだけでそういう気持ちがもっと強くなるなら、それで。
「僕も頑張るよ」
「えっ何?」
「なんでもない」
「えー、あ、りんちゃん耳かして」
「、なに」
「ちゅーしてもいーい?」
「はあ?今?」
「うん。ほら、貸切状態だし」
「だめ」
「ちょっとだけー」
「だめ。帰ってから」
「帰ってからならいいの?分かった、我慢する」
それでも胸の蟠りは消えないから。僕はいつもと少し雰囲気の違う遥の手をとり、しっかり握りしめた。運転手さんからは見えないし、他の人が乗り込んできてもきっと見つからない。
行きよりも短く感じた道のりを、特に何を話すわけでもなく僕は車窓から外を眺めた。樹くんのお家が花屋さんで、遥のお母さんのお墓がどこにあって、もうすぐ桜が咲くからお弁当をもってお花見に行けたら良いなとか、保育園に迎えに行って出てきたまおにおめでとうを言って、それからケーキを買いに行こうとか、そういうことを考えながら。
新しい季節は、もうそこまで来ていた。
─ to be continue ..
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