春休み一日目、その日もいつもどおりに現れた遥は僕の言葉を繰り返した。

「卒園遠足?」

「うん」

「もうまおちゃんたち出掛けたの?」

「集合時間が八時だったから。本当は僕が行っても良かったしそのつもりだったんだけど、母さん前から休み希望だしててもらえたって喜んでたから」

そうなんだ、と、いつもはきちんと揃えて置かれているまおの小さな靴がない玄関を見下ろして、遥は卒園遠足ってなんだろうみたいな顔をした。

「今日は晴れたから牧場だって」

「牧場…」

「ほら、去年遠足で僕らも行ったところ」

「えっ、そうなの?」

二年生が修学旅行に行っている間に、一年生と三年生もそれぞれ遠足がある。まあ、遠足、というようなものではないのだけど。

「俺行ってない…」

うん、行った覚えない、と不満そうに口を尖らせた遥に去年の事は僕もわからないな、と胸がきゅっとした。まあ、もし行っていたらこの派手な金髪は一目で分かるし、記憶にも残るはずだからそれがないというのは、行っていなかったということだろう。

「りんと同じクラスだったら行ったのにな〜」

学校行事の一つ一つをすごく新鮮なもののように楽しむ姿を目の当たりにしていたからか、遥のその言葉にはそうだねと、返した。するとやんわりと手を握られ、しばらくにぎにぎされてからじっと目を覗き込まれた。

「ん?」

あ、これはキスしていい?って聞くパターンのやつだ、と思ったのと同時に唇が重なった。手を握るのと反対の手が頬から耳の後ろを撫で、後頭部に添えられた。「そういうこと聞かなくていいから」用意していたその言葉は飲み込むしかなくて、閉じ損ねてしまった目に、薄目を開けて僕を見る遥が見える。はちみつ色の髪が揺れ、唇の重なりが強くなった。

「遥、」

動作の一つ一つにドキドキしながら、どのへんにキスしたくなるような空気があったのかなと考えてみたけど答えは見つからなくて。すぐに考えることもやめてしまった。

「、ん…あ、ちょ…」

「りん」

二人がけのソファーが、けれどギシリと音をたてて僕の背中を受け止めた。握られていた手を顔の横に縫い付けられ、遥の向こうに見えた天井に一瞬頭が冴えた。そうだ、リビングだ、普段おやつを食べたり勉強をしたりしている場所、だ。そう気づいたらいけないことをしている念が急に押し寄せてきて、角度を変えようと離れた遥の唇を軽く手で制した。

「ごめん、やだった?」

「あ、ううん、そうじゃなくて」

「もっと、だめ?」

「もっ…だめ、とかじゃなくて…ここリビングだな、って…」

まおと母さんは夕方まで帰ってこない。突然来客、なんてこともないだろう。それでも何となく落ち着かない。

「ご、ごめん、そうだよね…」

体を起こすのと同時に繋がれていた手が離され、後頭部にあった手もそこからどかされようとして、何となく反射的にそれを止めてしまった。「へ、」と間抜けな声を出して中途半端な体勢で動きを止めた遥に見下ろされ、今度は自分から顔を寄せてキスをした。

「あ、りん、ちゃん?」

いつか放課後の教室でキスをしたときみたいなドキドキ。でも自分からしてしまった今、そのドキドキにプラスして恥ずかしさが込み上げてきて目をそらしてしまった。

「え、なん…えっ」

「なんでもない」

「なんでもないって、え、なに、どうしたの」

「だから、どうもしてない…から」

追求されると余計に恥ずかしいんだけどと言うのは諦めて、もう一度軽くキスしてから遥の下から脱出した。動揺して力の抜けた身体は簡単に退いてくれて、思った以上に俊敏に動けたことに苦笑した。

「え〜終わり?」

「終わり!雑巾作るから、テレビでも見てて」

「邪魔しないから、もっかい」

「ちょっ、うわっ、」

「はい」

はい、と目を閉じてキス待ち顔をさらす遥に、してやらないと思いつつ無意識に顔は近付いていて。そりゃ、恥ずかしいしドキドキするのはおさまらないけど、自分も遥と同じだから。触れ合う時間が短くなって、なかなかこういうことが出来ない時間が続いて、今だって思ってしまったらもうだめだと思う。


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