「おふくろさ、遥の付き合ってる子の事知ってる?」
「遥の?」
「ああ、入院してすぐ遥が来たけど、言ってた。付き合ってる子がいるって」
「そう。何だかんだ遥のこと気にしてるのね」
「まさか。人様の大事な子供に手を出してるなんて、考えただけで腹が立つよ」
退院手続きの終わった病室で荷物をまとめた遥の父親は、タブレットを見つめたまままるで興味がないという口ぶりで、けれどはっきりと自分の母親に問うた。遥の祖母でもある彼女は、口元を緩めて「遥は大丈夫よ」と溢す。
「遥はしっかりしてるし、優しい子だから」
「そうやってあいつを甘やかさないでくれよ」
「どうして?甘やかしてなんかいないわ」
「甘やかしてるよ。あいつがしっかりした優しい子なんて、バカ言わないで欲しいよ」
「馬鹿言ってるのはあなたの方でしょう」
「なんだって」
イラついたように眉間にシワを刻み、タブレットから視線をあげた彼に、穏やかな声が続ける。
「遥からなんて聞いたの?その“恋人”について」
「付き合ってる子がいるって。それだけ」
「それだけ?」
「あと、名前も言ってたけど、忘れた。俺と会ったこともあるって…でも、あいつの知り合いなんて知らない」
「そう」
「……」
「他にも何か言われたって顔してるけど」
「生意気なことばっかり言われたよ。いい加減にしてほしいのはこっちなのに。あの恥知ら─」
「あなたが返してって言っても、遥は返さないからね」
「はあ?誰がそんなこと」
「言わないなら良いわ。でも、それなら遥の事に口を出すのはダメよ。フェアじゃない」
「それとこれとは別だろう」
白い壁にカーテン、窓の外は雪で白く染まっている。純潔なその空間で、苛立ちと嫌悪を露にした声が響く。
「別じゃないわ。遥と向き合う気がないなら口出しもしないで。分かった?じゃあ、私はもう帰るから」
「ああ、帰ってくれ」
呆れた息子だと、冗談めかして言い残されたそれは、静かに床に落ちて消えた。
「…」
“付き合ってる子がいる。好きなんだ、すごく”
「ちっ、」
“父さんが母さんの事を好きなのと同じ。同じように”
まだ高校生の子供が、何をほざいているのか。所詮お遊び程度の付き合いと同じにするな。そう言い返しても、遥は顔色一つ変えないで「遊びじゃないよ。本当に大事なんだ。だから、もう父さんの為に頑張るのはやめるんだ」と立ち去った。いつの間にか大きくなった背中は、けれどもう何年も前から背が伸びたとは思っていて、それが昔とは違ってきている事に気付いたのは、その時だった。
「返してくれなんて、言わないさ」
───…
母さんが仕事納めに行ってくると家を出ていったのは9時を回った頃。もう日が暮れそうだけど、そろそろ帰ってくるんだろうか。僕は明日のためにおせちを作り、年明け早々買い物に行かなくて良いよう早めに買い物も済ませ、夜のそばと天ぷらの用意も万端でリビングのソファーに腰を下ろした。
「ふー」
「りんちゃーん、今日くまたろうやらないのー?」
「え?あー…今日はやらないね」
「なんでー」
「大晦日だから」
「なにそれー」
「一年の、最後の日。だからいつもとは違う番組がやるんだよ」
「さいごなの?」
「そう、最後。で、明日から新しい一年が始まるの。だからそれまでに家を綺麗にして、新しい年を迎えるんだよ。まおもたくさん掃除したでしょ?」
「ふーん…」
「夜ご飯はお蕎麦だよ」
「わーい、エビのってるー?」
「うん」
膝に乗せたまおを抱き締めて、やんわりと押し寄せてきた睡魔に目を伏せる。今少しだけ寝て、夜起きてようかな。でもこんな時間に中途半端に寝るのって変な罪悪感が沸く。
「りんちゃん眠いの?」
「んーん、大丈夫」
「そっかー」
ゆらゆらと肩を揺らし、何かの歌を口ずさむそのリズムに身を任せ「来年も一緒にいようね」と呟いた。まおは「一緒だよ〜」と下手くそな歌の途中で返してくれた。その下手くそな鼻唄もかわいい。
「やっぱり、少し寝ようかな」
「まおも!」
今日は早起きだったからなあ…
志乃は今ごろこき使われてるのかな。だったら申し訳ないな、お昼寝なんて。まおにつられて軽く肩を揺らしながら、そっと窓の外を見ると形の崩れた雪だるまと目があった。まだ原形はあるものの、若干顔のパーツが歪み始めている。そんな小さなことからも志乃の顔が浮かぶ。ああ、僕志乃の事が好きだ、という実感よりは“志乃に恋してる”という認識に近い。
両思いで付き合っているという現実が、離れていると非現実的なものに感じるのかもしれない。志乃に繰り返し好きだと言われて大切に触られて、それでも僕はいまだにどうしてこの人は僕のことを好きになってくれたんだろうと思うときがあって。
「じゃあちょっとだけ、寝よっか」
「うん」
今年最後だからこんなに感傷的になっているだけかもしれないけど、このなんとも言えない気持ちは寝て忘れてしまおう。
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