「昨日の夜もいつも通りの感じだったけど、でも、なんか、今ならちょっとだけ近づけるかなって…思ったら口から出ちゃってて」
「……」
「まあ、想像通り、の反応だったけど。今日ももう一回話したくて今病院行ってきたんだけど…へへ、やっぱりだめみたい。俺─」
「今、どこ?」
「……」
「迎えに行くから、どこにいるの」
病院を出たところでタクシーに乗り、谷口くんの家の最寄り駅へ向かっていると言われ、僕もそこへ向かうことにした。志乃を迎えに行ってくると言えば、まおのことは見てるよと谷口くんが言ってくれてまたそっと「志乃大丈夫?」と耳打ちした。
「うん、ごめんね、まおのことお願いします」
「全然大丈夫。早く来ないと志乃の分のケーキ無くなるぞ」
「はは、そうだね、じゃあ行ってくる」
「うい、気を付けてな」
家を出るとまた雪がちらつき始めていた。残念ながら傘はない。濡れてしまうほどではないからいいかなと、そのまま駅へ走った。情けない顔をして待っている志乃が頭をよぎる。それでも、声とは裏腹にけろりとした顔をして佇んでいるのだろうか。
早くは走れないものの、自分なりに頑張って辿り着いた駅ですぐにロータリー付近でタクシーを見送る志乃を見つけた。「遥」と、反射的に漏らした声が聞こえたのかは分からないけれど、金髪が揺れて、確かに僕を見つけた。
「りんちゃん、」
パッと目を見開いて僕に向かって駆けてきた志乃は、そのまま僕の両肩を掴んで捕まえると開口一番「会いたかった」と溢した。昨日も会ったじゃないかと言う返しは野暮だと分かっていたから素直に同調する。それから志乃の言葉を待ったけれどきゅっと噛まれた唇に、もう少し時間がかかるだろうと悟って自ら問うた。
「お父さんは?大丈夫?」
「……ん、」
「そう、良かった」
「……」
「行こっか、谷口くんの家。みんな待ってるよ」
「うん、」
僕の歩調に合わせゆっくり歩き出した志乃は、静かに肩を寄せてきた。その体温に、そんなに冷えてはいないなと小さく安堵の息が漏れる。それでも表情は相変わらずで、いつも単純に顔に出ている感情が今はまるで分らない。傷ついているのか、なんなのか。昨日送り出した背中に思ったことが、これでは行動に移せない。
「…お腹、すいてる?遥の分、残してあるよ」
「うん、食べたい、な」
足を前に進めるたび、やわやわとぶつかる肩に志乃を見上げると、伏せられていたその目に自分が映った。まさか目が合うとは思っていなくて、「あ、えっと…傘、持ってこればよかったね」と、脈略のないことを呟いてしまった。それでも志乃は平気だよと返してくれて、僕が数分前に走ってきた道をいつもより遅い速度で歩いた。
此処から谷口くんの家まで、ゆっくり歩いても15分はかからないだろう。その短い時間でどうだったのと聞くのは酷なことなんだろうか。話が終わらないうちに着いてしまうだろうか。それともそこまでもいかないだろうか。このまま様子を見ているだけで10分そこそこなんてすぐに過ぎてしまう気がする。
「りんちゃん」
なんて、考えていた僕に、志乃は思いもよらず「大丈夫だよ、俺」とはっきりとした声で言った。
「え、」
「父さんにはまたぼろくそ言われたけど、分かってたことだし…それでも心配したんだって言ったら余計なお世話だって。でも、俺は父さんが元気そうで安心したし、言いたいことも言えたから行って良かったの」
「…」
「勉強頑張ってることとか、卒業した後のことも話したし…付き合ってる人がいるって話も。全部否定されたけど、考えてみれば母さんどうこうの前に、父さんがのこと認めてくれたことってなかったかもって、そう思ったらすごい楽になっちゃって。もちろん、りんちゃんと付き合ってること否定されたのは頭に来たから俺もちょっと怒っちゃったんだけど…」
「付き合ってるって…僕ってことも」
「うん」
「……そう」
「あ、でもたぶん誰かは分かってないよ。りんと付き合ってるって言ったら誰だって顔してたし。前一度会ったことあるよって言って出てきたから、もしかしたら今頃わかってるかもしれないけど…俺に興味ないだろうし、覚えてないってのも、あり得るかも」
相手が僕だって…男だって分かったら…志乃のお父さんはもっと怒りを露わにするかもしれない。僕が絵rそうに何か言える立場じゃないのは承知の上で、そんなことを思ってしまったけれど、もしかしたら何も言わないままただ縁が切れるかもしれない。どちらにしても志乃にとって良くはないことだ。
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