思うことはいろいろあるけれどうまく言葉にできないのが悔しい。こんなふうに心ここにあらずみたいになってしまうほど志乃は心配しているというのに。行ってきた方がいいと思うのは僕が他人だからかもしれない。志乃の中はいろんな感情でぐちゃぐちゃで、傷つきたくないけどやっぱり心配でどうしたらいいのかわからない、そんな両方の思いがぐるぐるしているんだろう。それを無理矢理背中を押して行って来いと言うのが正解か、やめておけと手を引くことが正解なのか、僕にはわからない。

「遥が、したいようにすればいいよ」

結局僕が口にしたのは、一番無責任で志乃にとってこれっぽっちも役に立たない言葉だった。それで選んだ結論に対して、心配かけたと一言言ってもらえたならば救われるだろうし、また同じことを言われて傷ついて帰ってきたなら抱きしめよう。

「……行ってきても、いいかな」

「うん」

「でも、せっかくのイブだからもうちょっとりんちゃんと一緒に居たい」

「明日も会えるよ」

「……」

「谷口くんの家、一緒に行くんでしょ?」

「うん、行く」

「じゃあ、明日」と握りしめられたままの手をそっと撫でると視線が上がってきて僕のものと交わった。

「電話、するね。明日」

「分かった」

「俺遅くなりそうだったら先に行ってて。後から行くから」

「うん」

「……」

「遥」

はーと盛大に息を吐き、意を決したように背筋を伸ばした志乃の耳元へ顔を寄せて「好きだよ」と呟いた。不意打ちの僕の言葉に志乃は「ひゃっ」と、なんとも間抜けな声を出して頬を赤くした。それから、あ、可愛い、なんて思った僕に律儀に「俺も!」なんて返事をしてくれた。少し力が抜けたのか、そのままきゅっと手を握られた。

「じゃあ、行ってくるね」

「いってらっしゃい」

僕もまだ一緒に居たいよと言えば、志乃は行かないと言い張るんだろうか。それはそれで嬉しいけど、答えとしては間違っている気がする。ゆっくり僕に背を向け、けれど志乃はもう一度振り返って「りんちゃん大好き」と言い残して行ってしまった。どんな技だよと突っ込む暇もなく、僕は大きな背中が見えなくなるまでそこで見送った。
大丈夫だろうか、泣いてはいないだろうか、傷ついてはいないだろうか。

心配していても、志乃からの連絡はなく。一人で帰ってきた僕にまおは少し不満そうな顔をして、母さんはあまり深くは聞いてこなくて。その夜は母さんと力を合わせてまおにクリスマスのプレゼントを送って、夜が明けた。

───…

「まおのおうち、サンタさん来たよ!」

「僕のうちも!」

あれ、はるちゃん帰っちゃったの?と、母さんもまおも心底残念そうな顔をしていた昨日の夕方。それ以降志乃からの連絡はなく、今日も約束の時間までにうちに来なかったからまおと一緒に先に家を出た。一応メールを入れた方がいいのかとも考えたけど、志乃が何も言ってこないと言うことはそれどころじゃないということだろう。明日電話すると言ったのは志乃だ。待っていよう、そう気持ちを抑え、まおと二人で谷口くんの家へお邪魔することになった。

「あれ、志乃は?」

「あ、うん、後から来ると思う」

「そっか、あ、音羽コーラとりんごジュースどっちがいい?」

「あ、りんごがいいな」

先に来ていた高坂くんと三崎さんはそれ以上志乃について触れることはなく、まおはまおでもう康太くんたちとわいわいしている。みんな同じ保育園の子らしく、馴染むのもすぐだった。
僕はテーブルに並べられたピザやチキンを前に、志乃も一緒に食べられるかなと不安になっていた。もちろん、こんなのは初めてだしそれだけで楽しくてうれしいのは間違いないんだけど。心に穴が開いているような感覚で、飲み物ばかりを口にしていた。

「でさ、その時高坂がさ、」

「ええ〜何それ面白い」

「だろだろ〜」

「もういいって」

「普段すかしてるくせに〜」

「うるせーよ」

「あ、音羽これ食べた?上手いよ」

「ん、ありがとう」

「志乃、やっぱ今日忙しかった?」

高坂くんと三崎さんと笑い話をする傍ら、谷口くんがこそりと僕に耳打ちした。

「あー、ううん、急用で…でも、来るって言ってたよ」

「そっか。…なんか、あった?」

「え?」

「いや、何か元気ないように見えるから」

「ううん、大丈夫。ありがとう」

気にかけてくれる谷口くんに目を細め、けれど流石に事情を説明するわけにはいかず。みんなで二時間ほど談笑した。その途中、着信を知らせた僕の携帯に気付いたのは谷口くんだった。志乃からだと一言告げて通話ボタンを押すと、いつもなら食い気味に言葉を発してくるはずの声は聞こえなくて。代わりに僕の二度目の「遥」という呼び掛けに吐息みたいな「うん」が返ってきた。

「どうしたの」

問いながら席をたち、一応リビングから廊下へ出てもう一度「どうかしたの」と促す。明らかに元気がない。落ち込んでいるような空気な気がする。

「……やっぱり、無理」

「え、あ…」

「体は大丈夫だって言ってたけど、お前に心配されたくないって…それでも安心はしたんだけどね」

そうか、大丈夫なのか、良かった…
どんなに嫌な人だとしても、志乃が大事にしている父親だ。無事なら、それで…

「いろいろ、話もして…進路のこととか、あと…付き合ってる人がいるっていうのも話した」

「……えっ!?」

「えっ、ダメだった?ごめん…」

「あ、いやそうじゃなくて…」

ダメとかではなく。あんなに僕の母さんには一緒に言うとか言ってたのに…志乃は一人で…いや、まあ、あのお父さんを前に堂々としていられる自信はないけれど…そういう事ではなくて。志乃は一人で、あの人を前にきちんと告げたんだ。何と言ったのか、なんと言われたのか、志乃はすんと軽く鼻をならした。


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