早まった、だろうか。
別にまだ言わなくてもいいのかもしれない。いや、だけどこれから長く一緒にいる前提なのだから、言うなら早くてもいい。後になればなるほど言い出しづらく、申し訳ない気持ちが大きくなる気がする。

「怒られたら、俺どうしたらいい?」

「…へ?」

「諦めてって言われたら、はいって言った方がいい?それとも無理ですって本当のこと言うべきかな」

「何言ってんの」

頭は良くなくても、そういうのはきちんと考えられるところが、けれど僕は好きだなと思う。ただ不安なだけだとしても、考えなしなわけじゃないところが。その答えは僕がどうこう言えることではないんだけれど。

「いいよ、遥は遥で居れば」

ね、と諭すように言えば、ブレザーの下で繋がれていた手が返事をするようにきゅっと絞まった。僕はそのまま目を閉じ、もう眠れそうにはなかったけれどそっと志乃の腕に寄り添った。少し早い志乃の心臓の音と振動、それに耳を澄ませ、バスが学校に着くのを待ちながら。まだもう少し時間がかかればいいのにとか、渋滞に巻き込まれて立ち往生すればいいのにとか、そんなことを思ってしまうくらいにそれは心地よくて。「おかえり」と、学校まで迎えに来てくれた母さんとまおの顔を見て、少し申し訳なくなってしまった。

「まお、寝ちゃってる」

「さっきまで起きてたんだけどね〜」

普段あまり乗らない車でわざわざ迎えに来てくれた母さんは、志乃のことも送ると言って半ば強引に車に押し込んだ。僕は僕で信じられないほど寒くて、一刻も早く暖かい車内に入りたくて志乃の腕を少し強く引いた。

やっぱり沖縄の冬は寒くない。いや普通に寒かったけど、こんなに寒くなかった。それにこっちは雪も降ってるし、そりゃ寒いよなあと迎えの車で渋滞した道を眺めながら思った。

「二人とも楽しかった?」

「楽しかったです。ね、りんちゃん」

「うん、楽しかったよ」

「まま沖縄行ったこと無いから羨ましいな〜」

なかなか進まない車の中で、規則正しく聞こえてくるまおの寝息に耳を傾けながら母さんの声に言葉を返す。明るく、それでいて穏やかな母さんの声は安心するし、まおのこの寝息も心地良い。
前の車のブレーキランプが消えて少し前進し、すぐにまた赤く光って止まる。大通りに出るまでこの調子なんだろうなと、他人事のようにぼんやり思った。それを遮ったのは、不意に触れてきた志乃の手で。冷えた僕の手に、柔らかく重ねられた暖かい手に、反射的に「母さん」と声が漏れた。

「なあに?」

「あの、言いたいことが、あって」

なあにと、もう一度、今度はルームミラー越しに視線を向けるのではなく、運転席から少し顔を覗かせて振り返った母さん。表情まではよく見えなくて、真っ直ぐに僕を見る目に小さく小さく聞こえていたはずのラジオの声が、その瞬間聞こえなくなった。

思わず息をのんだ僕に、けれど母さんはどうしたのかと急かすこともなく、じっと僕の言葉を待っている。これから志乃がうちに来るという約束は果たされない。このまま送り届けることになったから。なら今かなと、志乃もきっと思っているだろう。ひとつ大きく深呼吸をして、しっかりと母さんの方を見て言葉を紡いだ。

「…あのね、僕」

付き合ってるんだ、志乃と。

自分で発したはずの声がどこか遠くからのもののように聞こえて、もう一度「付き合ってる、好きなんだ」とはっきり声にした。

「……」

少しの沈黙のあと、軽くクラクションの音が響き、母さんは前を向いて車を進めた。それとほとんど同時に「そっか」と呟いて小さく肩をすくめた。僕としてはこれ以上言う言葉はないのだけど、なんとなくこの沈黙の心地が悪くて、「黙っててごめん」と、突然の謝罪をしてしまった。
勿論そう思っていたから言おうと思ったのだけど…なんだか今それを言うことで、若干の疚しさが滲んでしまった気がした。

「…ままね、りんちゃんがいろいろ悩んでたのは知ってたんだよ?でもりんちゃんももう高校生だし、男の子だし、相談してくれないのは当然かなあって。だからそれを責めたりしないよ」

謝ったことに対して、は、ということだろうか…無意識に志乃の手を強く握ってしまい、ひくりと志乃の喉がなった。

「あの、俺」

「はる─」

「りんちゃん…凛太郎くんのこと、本当に大事に思ってます。俺、こんなんだけど、ほんとにほんとにりんちゃんのことが好きで…」

「ありがとう。おばさんね、りんちゃんのことがすごくすごく大事なの。まおもそうだけど、世界で一番大事で、だから…」

「っ」

否定を匂わせる前置きに、今度は志乃の手に力が込められた。

「怒った方がいいのかな…はいそうですかって、簡単には言えないけど…でも、りんちゃんが悩んでるのはきっとはるちゃんのことだろうなって分かってたし、心の準備はしてたの」

ゆっくり前進し、大通り目前でまた止まる。再び母さんが僕らを振り返り、さっきより明るい道に出たからかその顔はよく見えた。

「でもね。そんなことより何より、世界一大事だから同じようにりんちゃんを大切に思ってくれて嬉しい。りんちゃんが好きになった人に、そうやって大事にされることが、すごく嬉しいの。何て言うのかなあ」

数秒カチカチと車内に響いていたウィンカーの音が止まり、やっと大通りに出たのが分かった。

「ありがとう、かな?だってそうでしょ、嬉しいんだものままはりんちゃんのままだから。それに、隠さずにちゃんと言ってくれたのも嬉しい」

僕が悩んでいたことを知っていたという時点で、母さんなりに考えてくれていたんだというのは恥ずかしいのだけど。言われてみれば、意味ありげにそういう年頃だもんねと言われたこともあるし、にやにやしていたのも覚えている。母親の勘か女の勘か知らないけど、敵わないなあと、口元が緩んだ。

「ところで、はるちゃんのうちって、この道であってる?」

「えっあ、はい、あってます。あ、ここ右です」

「了解〜」

そうか、送っていくねと言いつつも家を知らないのは当たり前か。それでも普段歩いている道はあっという間に通り過ぎ志乃の家に着いた。一応おばあちゃんにメールを入れておいたと言っていた志乃の言葉を思い出すのと、車の音に反応して家の中から人が出てきたのは同時だった。
こんばんはと言ってから荷物をトランクから引っ張り出す僕の横で、母さんが志乃のおばあちゃんに挨拶をした。それがなんだか変な感じで。いや本人たちはいたって普通なんだけど、僕の心境が、だ。

「わざわざすみません、ありがとうございます」

「いえいえ、通り道なので」

そのあと二人は軽く言葉を交わし、頭を下げて僕らは家路についた。まおに会えなくて寂しいと思い、長く感じた三泊四日は、振り返ってみればあっという間で。家に着くころにやっとその可愛い可愛い妹は目を覚まし夜だなんて気にすることなく大きな声で僕の名前を呼んだ。



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