荷物をバスに積み込み最後の見学先についてそれをおりたとき、妙に志乃へ視線が向けられていることに気付いた。まあいつものことかと思いつつも、やっぱりあからさまに見られている気がする。志乃が。

「志乃、なんかしたの?」

「何が? 」

「なんかめっちゃ見られてるぞ、お前」

「そう?何もしてないけど」

なにもしてないのにこの注目とは…逆に嫌みではないかと思った僕の反応と同じように問いかけた高坂くんは怪訝そうに眉を寄せた。

「おい、遥」

「うわ、樹」

「なんだようわって」

「びっくりした。樹のクラスはあっちだよ」

「知ってるつーの」

じゃあ何さとぷりぷりした態度の志乃を横目に、配布されたパンフレットに目を落とす。

「いやお前さ、すげーふり方したって話題になってんぞ」

「はあ?」

「だから、昨日告白されただろ?それでなんて返したわけ」

「付き合ってる人がいるからって」

「それだけ?」

「その人が好きだから他に興味ないとか」

「だよな」

「なに?」

「なんかさ、セフレにならしてやっても良いよって言われたって、女子が騒いでたぞ」

「はあ?なにそれ」

なんだそれはと、思わず視線が横にいた二人に移った。志乃がそんなことを言ったとは思わないけど…というか、意味を知ってるのかさえ危ういのでは、と思ったのが正直なところで。

「で、なりたいって子が名乗りをあげてお前に告るタイミング見計らってるらしい」

「意味分かんない。俺そんなこと言ってないし。なんで好きでもない人とエッチしなきゃいけないわけ?」

「俺に聞くなよ。お前が酷いふり方したから反感かったんじゃねーの」

「でも本当のことしか言ってないし。それなのに反感とか言われても」

あ、きちんと意味わかってた。と、変なところに関していたら、樹くんがちらりと僕を見た。その目は若干僕を気遣うような雰囲気を纏っていたけれど、小さく微笑み返したら「ま、音羽が気にしてないなら良いけど」と呟いた。

「はっ!そうだ、りんちゃん、俺そんなこと言ってないからね!俺が好きなのはり─」

「とにかく、はっきり答えるのは良いけど音羽に嫌な思いさせんなよ」

「ちょっと、なんでそんなにりんのこと気にするわけ?は?無理だからね。ほらあっち行って、りんのこと見ないで、触んないで。樹が心配しなくても大丈夫だし」

「いてーよ、馬鹿」

ぐいぐいと樹くんを押し退け、僕の腕を引っ張る志乃。女の子ってすごいな、もう性別が“女”というだけで武器じゃないかと感心してしまうというかなんというか…そんな風に考えていたことが顔に出ていたらしく、樹くんも呆れたように口元を緩めて肩をすくめていた。

「りんちゃん、俺ほんとにそんなこと言ってないからね」

「分かった分かった」

「ほんとにほんとだよ?」

「疑ってないから」

ほらほらとクラスの群れに戻れば、周りからのそんな視線はもう気にならなくなった。僕は僕で、志乃がそんなこと言うとは考えられないけどなと思いつつ、少しだけ、ほんの少しだけ、嫌な気持ちにはなってた。もちろん僕自身も嫌だし、それよりもそういう噂が流れて志乃にいい事があるとは思えないからだ。志乃のことを軽んじられたようで。

「ほんとに?」

「本当。ほら、静かに話聞こう」

「…ん」

その日、ちらちらと視線が向けられるのはなくならなかった。けれど、ここ最近の志乃の変化に気付いている側では志乃はそんなこと言うタイプじゃないよなと、徐々に納得してくれたような気がした。つまり、昨日のあの子がふられたことへの腹いせに変なことを言いふらしたのだと察してもらえたということだろう。それはそれで可哀想だけど、自業自得といえば自業自得で。でもそう言いきるのことも僕には出来なくて、志乃が誰にもつれていかなければ良いなと考えながら隣にいた。

「忘れものないかー」

空港から学校へ向かうバスの中での担任の声に返事は曖昧で、みんなそれぞれうとうとと船をこいでいた。僕も例外ではなく、気まぐれに話しかけてくる志乃に適当に相槌をうちながら半分目を閉じていた。ここで忘れものの確認をされても、もう遅いよなあとぼーっと考えながら。

「りんちゃん、寝る?」

「んー…」

やわやわと掌を揉まれながら、その心地好さに目を伏せるとすぐに睡魔に襲われた。

「着いたら、りんちゃんの家行っても良い?」

「……うん」

「聞いてる?」

「うん、」

「りん」

「あ、なに?」

バスの中で配られたお弁当を早々に平らげて、外はもう暗くなっていた。カーテンの隙間から外を覗けば自分の顔が映り、その後ろに志乃が映る。慌てて志乃の方を向くと顔を寄せられて「りんちゃんの家行っても良い?」と問われた。

「つく頃はもう夜だよ」

「うん、でもりんちゃんのお母さんに…」

そうだった。約束をしたとまではいかないけれど、確かにそういう話になっている。呑気に寝ようとしていた頭がすっと冴えた気がして、軽く目を擦った。

「帰るの遅くなっちゃうけど、いいの?話すのは今日じゃなくても…」

「いいの。なんか、俺もちゃんと言いたいと思ったし」

たぶん、これは黙っておくべきことなんだろう。もしかしたら何年かして、僕も志乃も普通に女の子と結婚して子供が生まれて、そういう未来があるかもしれないのだから。あれは気の迷いだったんだなと思う時が来る、そんな可能性を考えたら。

「これからもずっと一緒にいるのに、黙ったままは良くないでしょ」

いや、そんなことを思う時がくるとは思えない。だから話したいと思ったんだ。親に恋人を紹介するって、そういうことなのか。ずっと先の未来のことまで考えて、というわけでなくても、自分が大切にしたいと思っている人がいて、その人と付き合っているということを知ってもらいたい、認めてもらいたい、そう思うから。だから母さんに言いたいと思ったわけだ。

「…うん」

「怒られるかな」

「どうだろうね。母さんに怒られたことってあんまりないかも」

「優しそうだもん、りんのお母さん」

見た目通り、優しい人だ。
でもその中にはちゃと厳しさもあって、“片親だから”と僕らに向けられる視線がないように。そして何より僕とまおのことをすごくすごく大事にしてくれている。そうやって大事に育てた子供が、“普通”とは違う道を歩いていると知ったら…怒りはしなくても、ショックは受けるかもしれない。


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