「あ、洗濯干すからちょっと待ってて」
「手伝うー」
「だめ、ほら、テレビでも見てて」
今日は天気が良いねと言えば、背後でそうだねと返してくれる志乃。テレビの音が聞こえていたから、見てるもんだと疑わなかったのだけれど。干し終えて部屋の中に戻ると、へらへらしながら志乃が見ていたのは僕だった。
「りんちゃんと結婚したいなあ」
「えっ、な…」
「ここきて」
空になったカゴを持つ手をとられ、ソファーに座る志乃の正面に引き寄せられた。へらりと顔面を崩して、膝の間に立つ僕を見上げる彼はゆっくり僕を屈ませてやんわりとキスをした。
「柔らかい」
「、」
「真っ赤〜可愛い〜」
無言で志乃のほっぺをつねっても、それすら嬉しいのかもうほんとにこれ以上無いほど顔面がとろりと歪んでいる。それを直視ことができず、僕はその空間から抜け出してキッチンへ逃げた。昨日の夜出来るだけの下準備はしておいた。たぶん志乃は洋食より和食が好きで、けれどそれは育った環境が影響しているのだろう、と僕は考えていて。祖父母の家で元板前の料理を食べる成長期を過ごしたのだ、だからあえて、あんまり食べないという洋食をご馳走することにした。もちろん、志乃本人からそう聞いたわけではない、僕の勝手な解釈なのだけれど、志乃はいつもの笑顔で頷いてくれた。正直なところ、喜ばせたい気持ちで一杯だけど同じくらい自信がない。
「あっ、樹からメールだ」
「誕生日おめでとうって?」
「んー…ちがーう。……あ、でもおまけみたいにおめでとってある」
「良かったね」
「え〜うん、でもりんが一番に言ってくれて嬉しかったし、俺それだけでほんとに死ぬほど幸せだよ」
「恥ずかしいからやめてよ」
「えー?」
エプロンをつけながら志乃を振り返ると、ソファーで携帯を眺めるその顔は、なんだかんだ嬉しそうだった。そりゃ嬉しいよなあ。そんなことを考えた僕に、志乃は唐突に零した。
「俺ね、誕生日ってあんまり好きじゃなかったんだ」
「え?」
「家のこととかいろいろあって」
自嘲的に小さく口元を緩め、志乃はゆっくり「俺産まれてこなきゃよかったのにって、何度も思った」と続けた。
「まあ、父さんに祝ってもらえないのは仕方ないし、本当に俺が全部悪いんだから文句も言えないけど」
「遥、」
「だからね、じいちゃんたちに毎年おめでとうって言ってもらってケーキを食べて、っていうのがすごく嬉しかった。子供みたいだけど、ほんとに嬉しくて。嬉しいのになんだか申し訳なくて、素直に喜べなかったんだあ。でも今日は今までで一番嬉しい。りんちゃんがお祝いしてくれて」
おじいちゃんとおばあちゃん、そして僕、去年までの倍嬉しいんだよと、志乃は笑った。
「そうだね、僕も嬉しかったよ。遥がお祝いしてくれて。だから、産まれてこなきゃよかったなんて思われるとこっちが悲しい、かも。おじいちゃんたちもそうだと思うし」
「…うん」
「お昼ご飯用意するからちょっと待ってて」
「うん。話しかけてもいい?」
「それいちいち聞かなくていいよ」
「だってー。よそ見して怪我したら大変でしょ」
いつもの調子に戻った志乃に安堵してから、僕は考えていた昼食を用意した。
大したご馳走でもないけど、志乃は何を食べてもおいしいおいしいと繰り返してくれた。でも、あれこれって昼食が少し誕生日仕様でまおが居ないというだけで、あとはいつもの休日と同じではないかと気づいたのは、お皿を洗い終えた時だった。
「遥」
「なあに」
やらなくていいと何度も押し返したのに、結局お皿洗いを手伝ってくれた志乃は濡れた手をタオルで拭きながら僕を見下ろした。
「ありがとう、手伝ってくれて。あと、おめでとう」
「へへ、こちらこそありがとう」
あれ、違うな。いや違わないけど。
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