「こんにちは、はじめまして。音羽まおです」
まおは特に緊張した様子もなく、困る素振りも見せないできれいにお辞儀をした。その横顔の凛々しさと言ったらもう、たまらなく可愛くて一人悶えてしまった。
「え、音羽くん妹いたんだ」
「かわいー!お人形さんみたい」
正直、こういう場に保育園児を連れてくるのは良くないと思ったけれど…連れてきた今も悩んでいるけど…まおも行きたいと目をキラキラさせていたし、夕食をとるのに丁度良いではないかとなんとか自分に言い聞かせて足を運んだ。ファミレスに5時集合。というそこそこ健全な集まりだということは理解できていたから、母さんも行っておいでと電話越しに笑ってくれた。クラスメイトの弟がまおと同じ園の子で、その子も来ると言ったら尚更。
僕がそういうのに行ってもいいかな、なんて聞くこと自体が、もしかしたら母さんにとっては嬉しいことだったのかもしれない。
「まおちゃんだ!」
「あー、宏太くん!」
すでにほとんどのクラスメイトが居て、お店には迷惑なんじゃないかってほどのテーブルを占拠していた。僕はまおを迎えに行き、一旦家に帰ってから着替えて家のことを少ししてここへ来た。その間志乃もずっと一緒にいたけれど、何やらずっと携帯を睨んでいた。普段あまり携帯を触らないだけに、何かあるんだろうかとちょっとだけ不安になった自分が恥ずかしい。
「まおちゃんこんにちは、宏太のお兄ちゃんです」
「こんにちは、りんちゃんの妹です」
僕なんかよりよっぽど人付き合いがうまいらしいまおは、早速僕の手を離して谷口くんの弟とにこにこ言葉を交わしている。
「音羽も志乃も来れて良かった」
「誘ってくれてありがとう」
「いやいや、こっちこそ来てくれてありがとな。あ、ドリンクバー人数分頼んであるから、何か入れてきなよ」
「あ、うん。ありがとう。まお、ジュース取りに行こう。志乃も」
「うん」と、まおと志乃の声が重なり、そのまま三人でドリンクバーでそれぞれ飲み物をコップに注いだ。席は適当に空いたところへ座ることにして、良く分からない音頭の中で乾杯も済まされた。
「まおちゃんすごいね〜お箸使えるの?」
「使えるよ〜」
お子さまうどんセットのうどんを器用に箸で食べるまおは、クラスの女の子からかなりちやほやされていた。最初は僕の隣に座っていたはずなのに、僕がトイレに行って戻ってきたらもう元の位置には座れず。仕方なくまおの向かいの席に無理矢理体を押し込んだ。
「まお、ほっぺについてるよ」
「はーい」
打ち上げ、という雰囲気はなかったけれど、なんだか思ったより普通にみんなとしゃべっている自分には驚いた。まおがいたからリラックス出来ていたのかもしれないし、志乃が僕にべったりでも、それでも誰かと言葉を交わしていて面白かったのかもしれない。
今まで怖がられていたのが嘘みたいに、ここぞとばかりに志乃の彼女について質問が飛んでいたのにはいたたまれない気持ちになったけど。ただ、そんなざわつきのなかで僕だけが志乃の恋人について知っているんだ、というちょっとした優越感みたいなものを得たりもした。同時に、言えない関係なんだと、突き付けられたのも、事実。
息苦しくなる度、飲み物をつぎにいき、ついでに誰かのコップのお世話もして、8時少し前にはお店を出た。
「りんちゃん、美味しかったね」
「美味しかったね」
「でもりんちゃんのご飯の方が百倍美味しいよ!」
満面の笑みで僕を見上げたまおに、その向こうにいた志乃も「俺もそう思う!!」と身を乗り出すものだから笑ってしまった。
「楽しかった?」
「うん!宏太くんもいた!」
「そう、よかった」
「りんちゃんは?楽しかった?」
ご機嫌なまおを抱き上げると、するりと素直に首に回る短い腕。まおの体分空いた僕と志乃の隙間を埋めるように、僕は一歩横につめた。
「楽しかったよ」
少しだけ触れた肩に、妙に安心して微笑むと、志乃は「オレはもっとりんとくっついていたかったなあ」とぼやいた。
「楽しくなかった?」
「…俺はりんといられればそれだけで嬉しいもん」
「ああ、そう…」
真顔でなんてことを言うんだ。「りんは?」と聞かれ、素直に同意したら志乃がこっそり僕の背中を撫でた。恥ずかしさのあまり思わずまおを抱く腕に力を込めてしまった。そのまま、志乃は僕をうちまで送り届けてくれたのだった。
「じゃあ、また明日」
「うん…」
「どうしかした?」
「なんか、りんに悪いことしてるみたい」
「え?」
「俺、彼女なんていないのに」
「え、ああ、僕は平気だよ」
「俺が平気じゃないもん」
遠慮がちに握られた手がそっとひかれた。
けれど、最初に付き合ってる人がいるからと口にしたのは志乃の独断だ。それが取り巻きから逃れる為の咄嗟のものだったとしても、正しい判断の一つだと思う。おかげで連絡先をしつこく聞かれなくてすんだのならば。ただ単に、本当に付き合ってる子がいるから、とそういう意味だったのかもしれないけど。嘘なんてつけないから、というならば僕としては倍嬉しかったりするけど。
「知ってる?遥はモテるんだよ」
「りんだって」
「僕はモテないよ。でも、遥はモテるから、付き合ってる子いるのかなって気にしたり、どんな相手なのかなって追求したりするんだよ。そういうのじゃないにしても、遥が、本当は優しくて可愛い人だって知ってくれる人が増えたら、きっともっと楽しいよ」
「…りんちゃんだけが知っててくれればいいもん」
「……それは…」
うーん、そうか。それもそうかと、変に納得してしまうほどには、僕にも“独占欲”というものが芽生えているらしい。
「でも、楽しかったよ。今日も、今日までも。そりゃあ、もっとりんと居たかったけど。りんの為に頑張ったのも楽しかったし、応援してもらえたのも勝てたのも嬉しかった。そういうの、なんかすごい久し振りで、ほんと、楽しかったよ」
ふにゃり、僕の好きな笑い方をして、「ありがとう」と続けた志乃。僕は「僕の方こそ」と返しながら、けれど恥ずかしくて握った手に力を込めた。それとほとんど同時に、先に家の中に入っていたまおの僕を呼ぶ声が響いた。まおにこんなところを見られてしまったら恥ずかしくてたまらない、と慌てて返事をしてから「じゃ、じゃあ、気を付けてね」と告げる。
「うん、おやすみ」
ぱっと離れた体に、志乃は特に反応せず、またふにゃりと笑って僕の額にキスをした。
「お、やすみ…」
ああ、やばいなと、こんなに好きになってしまったら、僕は志乃の友達にまで嫉妬とかしてしまうかもしれない。そんなことを考えながら、やっぱり名残惜しく子供みたいに笑う志乃を見送った。
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