「…いいの?」
「え?いい、けど…」
「じゃあ…お願いします」
頷いた志乃は強引に買い物袋を奪い、僕の隣を歩き出した。自宅は、本当にその場所からすぐそこで、数分で“音羽”と書かれた表札が目に入る。たいして大きくもなく、今風でもない、普通の家。けれど僕の一番、大切な場所。
「まお、手洗っておいで」
「はーい」
「…志乃も、上がって」
「音羽」
パタパタと小気味良い足音が洗面所にたどり着き、代わりに水の流れる音。志乃も入るよう促し、ついでに荷物をひったくれば、何故だか手を掴まれてしまって。そのままぎゅっと抱き締められ、けれどすぐに離された。
「ど…」
「お邪魔します」
へらりと笑った彼に、僕はなにも言えないで、とりあえず彼を大人しく招き入れた。
「えーっと…とりあえず、服…」
「ん、脱げばい?」
ブレザーは出来る限り汚れを払ってからハンガーにかけて、脱いで渡されたシャツを受け取る。血と土に汚れてしまっていて、綺麗に落ちる保証はないけれどあとで手洗いしてやろう。妹の汚れた服を手洗いするのに慣れていて、なんの構えもなくそんなことを考えてしまっていた。
「っ、とりあえず…顔とか手とか、洗う?」
「ん」
シャツを脱いで露わになった志乃の上半身は、それはもう羨ましくなるものだった。立派だろうな、とは思っていたけれど、想像していたよりずっと男らしくて、同じ男だというのに目のやり場に困ってしまった。なんて、素直に言えるはずもなく志乃を洗面所へと誘導する。手洗いとうがいを済ませたまおにはなんとなく見せたくなくて、そのままリビングへ行くよう促した。それからやっと、決して広くないそこで志乃の髪にこびりついた血を洗い流した。
痛そうだと思って、なるべくゆっくりしているのに…志乃は楽しそうに僕の腰に手をまわす。
「志乃、ほら、頭上げて」
「終わり?」
「うん、」
洗濯して片付けてあったタオルを一枚その頭に乗せ、軽く拭いてから腕と手も洗ってやった。さっきまおが貼ってあげた絆創膏は意外と水に強くて、剥がれることはなかった。綺麗になったそこ、細かい傷はたくさんあるものの、汚れを落としてみれば対して大きな怪我は無いようで。それからリビングに戻り、消毒をして絆創膏やらガーゼやらを貼った。
「はい、おしまい」
「りんちゃん、お友達大丈夫?」
「大丈夫だよ。ほら、もう血も出てないでしょ?」
背中に抱きつく小さな温もりにそう微笑めば、満足したように笑い返してくれた。けれど、僕とまおのそんなやり取りを見つめる志乃の顔はちっとも笑ってない。むしろ何かを考え込むような風で。
「ほんとだ、もう痛くない?」
「へ?あ、うん」
「えへへ、良かった」
「あ、ありがとう…」
「お兄ちゃん、お名前は?まおはね、まおだよ」
えへへと、何度も笑いながら志乃に話しかけるまおに、やっぱり女の子は小さいうちから女の子なんだなと実感した。志乃イケメンだし、そりゃあまおだってそんなイケメンを前にしたらテンションが上がるんだな、と。
「はるか、だよ」
「はるちゃん?りんちゃんと仲良しなの?」
「そうだよ。りんちゃんのこと大好きなんだよー」
「まおもりんちゃん好きだもん〜」
ぎゅうぎゅう抱きしめてくる短い腕。ああ幸せだ、と思うより先に、志乃の大好き発言に思考が停止してしまった。もちろん、普通に友達として好きだって意味なのは…ていうか、友達なんだろうか。そんな疑問が過りつつも、とりあえずすべて振り払って、腰を上げた。
背中に抱きついていたまおをおんぶする格好になったが、気にしないでキッチンへ入る。
「音羽?」
「お茶くらい、飲んでって」
「はるちゃんはるちゃん、りんちゃんのココア美味しいんだよ」
「ココア…」
「あ、紅茶もあるけど…」
「ううん、ココアがいい」
見た目には似合わないけれど、僕が知っている志乃の正確にはよく似合う。甘党には見えないけど、甘党なんだろうなという感じがしていたから。三人分のココアをカップにいれてリビングに戻れば、まおはソファーに飛び乗って志乃の隣にちょこんと座った。
「どうぞ」
「ありがとう…」
「……それで、あの…志乃?」
「美味しい」と呟かれた言葉に食い気味に話しかけてしまった。でもとりあえずこれは聞いておくべきなんだろうと、そのまま続けることにした。
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