食べ終えた食器は手際よく志乃が洗ってくれた。それから手を拭いて飲み物を両手にした背中に、ああ、言おう、と思い、志乃の部屋へ入れてもらってすぐ、僕はぽそりと呟いた。
「僕、は」
「うん?」
「まだ、決めてない、んだ…」
「え?」
「進路」
「…そっか」
「近所で就職するつもりだったんだけど、もう少し考えてみたらって、言われて」
志乃はもう一度「そっか」と言うと今度は無言で僕を抱き締めた。ああ、暖かくて気持ちがいい。焦りが、じわりと溶かされる気がする。
「卒業しても俺りんに会いに行くし、手も繋ぐし、ちゅーもするよ」
「っ、」
「なんにも変わんないよね、」
問いかけなのか自分への言い聞かせなのか、志乃は低い声でそう呟いた。耳元でささやかれたその言葉を、僕の身体は肯定するように抱き締め返していた。
「変わらないよ」その言葉の代わりに。
でも、僕が進路を“進学”にしたら、三年生では僕と志乃は同じクラスにはならないだろう。それは黙っておくことにした。いずれ知るにしても、僕の口からそれを伝えて、志乃に迷いを与えたくはなかった。
「あー、りんちゃん、好き」
「あはは、急だなあ」
「言いたくてたまんなくなった」
何時にも増してふにゃふにゃの志乃は、それから少しの間好きと、触れるだけのキスを繰り返した。
「、遥」
唇と唇が触れ合ったまま交わす言葉が、自分のキャパを越える羞恥で、頭がくらくらした。なんとか少し離れても、全然落ち着いて声なんて出せない。
「もうだめ?」
「っ…」
「凛太郎?」
「…め、じゃ……い」
「ん?」
「ダメ、じゃ……ない」
「うん」
だめだ、顔、真っ赤だきっと。火が付きそう。
それを誤魔化すようにきつく目を閉じて、志乃の肩口に額を押し付けた。少し、もう少しだけ、落ち着きたかった。それを察したのか、志乃の手がゆっくり僕の背中へまわり柔らかく数回撫でてくれた。
「りん」と、今度は諭すように僕を呼ぶ声に、視界が曖昧になる。
「はる、か」
「りんちゃん?どうかした?」
「分かんな、い」
熱いくらいの温度をもった志乃の指が、ぎこちなく僕の頬を擦った。泣いているわけではないのに、声が震える。
「好き、すぎて…かも」
「っ、りんちゃん、」
志乃はそんなことを、毎日へらりと笑って僕に言っているのに。それにいちいちドキドキして、赤面する僕を見てまた笑うくせに。僕の言葉に顔を真っ赤にした男前は、けれど僕はそれを笑う余裕なんか、全然なくて。
いろんなことを考えていて、不安や焦りがあって、それが全部志乃の声で解かれたような。よく分からないけれど、とにかく安堵した自分がいる。でもそれ以上にドキドキしてしまっていて、上手く感情を処理できていないんだ、きっと。
ただ、そんな不明瞭な脳内でクリアに浮かんだ僕の意思は志乃と同じ。
「変わらないよ」
「、うん」
えへへ、と、赤い顔がだらしなく緩められた。それに思わず笑ったらまた何度もキスされて、そのうち唇が取れちゃうんじゃないと、心配になった。
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