「志乃、あの…」

「なあに?音羽」

森嶋に言われた言葉を思い出して、僕がそれを言うために志乃の名前を呼ぶのは、もう何度目か。あれから何日経ったか。 いつも言おうとして結局言えないでなんでもないと目を逸らしてしまう。

「……ごめん、なんでも─」

「音羽どうしたの?最近そればっかり」

今回もやっぱり言えないと、目を逸らすそうとした時だった。
それを許さないと言うように、志乃の手が僕の頬を包み込んだのは。

「何か言いたいこと、あるなら聞くよ?」

「あ、え…」

近い。
吐息の熱さを感じるほどに、近い。

「おとは」

あ、やばい。

ふわりと、一瞬意識が遠のいた。志乃の顔が近すぎて、何度そうされても心臓はバクバクとうるさくなって、息が詰まって。柔らかい声で呼ばれて、思考が停止するみたいな。

「し、の…」

逃れる様に目を伏せ、顔に添えられた彼の手を掴む。なんとか剥がしてやろうと思いつつも、うまく力が入らなくて、結果、その手に縋っているようになってしまった。全身が熱くて、どうしたらいいのか、どうしてしまったのか、分からない。

「ゴッホン。志乃、音羽、授業始めるぞ」

「っ、」

完全に二人だけの世界になっていたけれど、いつの間にか鳴ってしまっていた始業のチャイム。教室へ入ってきた先生の声にはっとして、手に甦った力で志乃の手を引き剥がした。

「すみません、」

慌てて教科書とノートを机から引っ張り出し、この時志乃の体が近すぎてなかなかそれが出てこないことにさらに焦った。それからやっと広げた教科書とノートの上で汗の滲んだ手にシャーペンを握る。

「志乃も…早く用意しないと」

ちらりと様子を伺えば、相変わらずじっとこちらを見て首を傾げる志乃。
先生も志乃には口出しできないのか、僕が準備できましたという顔で前を向けば、淡々と授業が開始された。それが三限のこと。その授業が終わってすぐ、志乃は他のクラスの真っ赤な髪の毛をした男子生徒に連れ去られ、その後教室に戻ってくることはなかった。

授業に出てくれるなら聞いていようがなかろうが、僕にベッタリだろうがなんだろうが、もうそれでだけでありがたいんだと言う顔をしていた先生たち。だけど、志乃が居なければ居ないで、ほっとしたような顔で授業をする。
志乃の何がそんなに怖いんだろうと、最近の僕は思い始めていて。いやもちろん、僕だって怖いし未だに森嶋からの頼まれごとは遂行出来ていないのだけど。ただ、関わってみて知った彼が、あまりにも噂と違っていて、拍子抜けした部分が多いのだ。あえて表現するなら志乃遥はただのイケメン、と言ったところだろう…ただ、やっぱり何処かで、僕以外の誰かの前では、不良的な態度を取ったりもするんだろうな、とも思う。
僕だって、志乃のことは噂でしか聞いたことがなかったからものすごい不良だと解釈していた。でも関わってみれば、怖い噂のようなことは微塵も感じられなくて。そう言えば一度、屋上でそんな様な光景を目の当たりにしたなあ、なんて、呑気に思ってしまうほど。

その日は学校帰り、そのまま妹を保育園まで迎えに行き、スーパーに寄った。

「りんちゃん、りんちゃん、今日ね、お絵描き、したんだよ」

「そうなの?まおは何を書いたの?」

一回り歳の離れた妹はまだ5歳。その小さな手をしっかり握りしめたまま顔を見下ろし、問う。可愛い可愛い妹は、目一杯に僕を見上げて、満面の笑みで「りんちゃん!」と答えた。その姿が可愛くて、もう。
シスコンという自覚はあるけれど、贔屓目を抜きにしても可愛いんだ、仕方がない。



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