「はる、ま…っ、」
「りん、部屋、行ってもい?」
「っ、あ」
僅かに離れた唇は、今度はきちんと僕の返事を待っていた。ずるい、こんなにも重大な判断を、僕に下せと言うのか。でも、ずっと待つと言ってくれていたのは分かってる。今日は、今回は、そう思ったことも今まであった。
「……部屋、散らかってる、けど…」
「うん」
するりと、肩から腕を滑った志乃の手が僕の手をとった。数えるほどしか、人を招き入れたことのない自分の部屋。テレビもパソコンもゲームもない、本当に寝る為だけの部屋。
そこへ、志乃の手が誘導してと言うように小さく揺れた。顔を見ることはできなくて、自分の爪先を見つめたまま足を動かした。一歩、また一歩、部屋が近づくにつれて心臓がうるさくなる。何が何だか分からないくらいドキドキとうるさくて、何か喋らないとこの沈黙に窒息しそうで。それでも声を出すことはできない。吐く息さえ、震えてる。
ドアノブにかけた手も、いつの間にか震えていた。
「入って、良いの?」
「、」
さっきまで僕が寝ていたベッドは乱れていて、けれどそれ以外は片付けるほど散らかってなどいない。沸騰しそうな頭を頷かせ、そっと志乃の手を引いた。
パタン、と閉まったドアに僕の心臓は限界を迎えた。まともに息も出来ないくらい緊張していて、繋いだ手にはひどく汗をかいている。でも離せない。
「ごめん、寝てたから、カーテン…」
「りん、顔、あげて」
「っ遥」
だめだ…柔らかく持ち上った顎は、志乃の震える手に導かれていた。志乃が震えてる。じっと見つめられたあと予告もなく抱き締められて、胸から聞こえてきた音に、心臓はさらに跳ねた。そこには僕よりも早く動く心臓があったからだ。ああ志乃も緊張してるんだとか、そういえば前に樹くんが志乃は童貞だとか言っていたなとか、考えてしまって何だか余計に恥ずかしくなる。
僕も志乃も喋らない部屋に、雨の降る音がひどく遠くから聞こえてくる気がした。それよりもお互いの鼓動がうるさくて、沈黙、と感じないのだ。
やばいやばいやばいと、緊張して吐きそうなことを誤魔化すように僕も志乃の背中に手を回した。
「キス、してもいい?」
先に口を開いたのは志乃の方で、少しばかり久しぶりに聞く台詞だなあと、他人事みたいに思った。少し震えた声のあと、震えた唇が僕の唇と重なって、震える呼吸が交わった。
「ん、」
そのままベッドへ追いやられ、二人してそこへ倒れ込んだ。さっきまで寝ていた空気がまだ抜けきっていない布団は妙にいやらしく感じた。日曜日のお昼、男二人で抱き合って、ベッドに沈んで、いけないことをしようとしているという意識はあるのに、僕らは息をするだけで精一杯で。
「凜太郎」
何度も何度もキスをして、少し待ってと、もうすこしゆっくりと、伝えたくて胸を押すたび眉を下げる志乃がそれを物語っていた。
「はぁ、あ…」
「りんちゃん」
「まっ、」
「逃げないで」
逃げないから、そんな顔しないで。
志乃があんまりにも切ない目をするから、逃げるつもりはないと言うことさえ躊躇われた。そんな言葉を紡ぐ時間でさえ、待たせることができないと感じてしまったのだ。だから代わりに首を伸ばし、自らキスをした。触れた唇が、一瞬ぴくりと跳ねて、すぐにもう離れないでというように噛みついてきた。
そこからはもう、よく分からない。
熱いのと人生最大の緊張とで、いっぱいいっぱいだった。
ただ、何度も凜太郎、と呼ぶ声が胸を焦がしていた。それはその後もずっと耳に残っていて、しばらく僕を支配していた。戯言のような愛の言葉がささやかれるたび、それでも僕は胸が満たされていくのを感じていた。
─ to be continue ..
[ 143/306 ]
bkm
haco
×