「……」
「ひっでー顔」
「うるさい」
「なに、音羽と喧嘩でもしたのかよ」
「…してないもん」
もんじゃねーよとつっこんだ樹に、遥は「何の用?」とふて腐れた顔で呟いた。
「いや、この前のこと謝ろうと思って電話したけど繋がんねーし、さっき音羽に電話したらお前と一緒にいないって言うし。だからわざわざ来たんだっつの」
「りんに電話したの?」
「しちゃ悪いのか」
「うん」
「じゃあ電話出ろ」
「……ていうか、謝んなくていいよ」
「いやでも音羽に心配させてたら悪いし。それも一応言っといたけど」
悪かったな、と思ってはいても改めて言うとなんだか気まずいなと感じた樹は爪先へと視線をおとした。家にあがることもなく、玄関先で佇む足元には志乃のものらしき靴しかない。彼の祖父母は出掛けているのだろう。それでもあがろうとしない、あげようとしない。長話をするつもりはない、ということだ。お互いに。
「殴るつもりはなかったけど、痕残ってたら悪いと思ったんだよ」
「別に、平気」
金曜の朝、寝坊した遥はその前の夜樹と帰り道で遭遇し、機嫌の悪かった樹にうじうじ悩んでるところをみられた。それを鬱陶しく感じた樹が遥のことを振り払ったら顔面にグーパンチが入ってしまった。ただそれだけのこと。
「素直に音羽に言えば良かったのに」
「……」
言い訳臭くなる気がするのは仕方がないけれど。
「で、音羽になにしたわけ」
「なにもしてない!」
「いやそれは無理あるだろ」
男前、がどこかにいってしまった。情けなく垂れた眉と、泣き腫らしたまぶたと、血色の悪い顔。ここまでなる原因、他にあるのかと問うのも面倒な樹はかわりにため息を漏らした。
「別に、俺に話せとは言わないけど、聞かれたくないならそんな顔してんなよ」
「樹が突然来るから悪い」
「はいはい」
たぶん自分で、俺はかっこいいなんて思ったことがないのだろう。でなければこんな顔はしないし、易々と晒したりもしないはずだ。
「いいのか。音羽のとこ行かなくて」
「……」
「はぁ〜なんだよ鬱陶しいな」
「…なんか、怖くて」
「はあ?」
「りん、モテるんだん。俺愛想つかされたかも」
「何言ってんの」
突拍子もないこと、というわけではない。ただそんなこと全く想像もしていなかった樹は思わず遥を凝視していた。モテるから心配、と言いたいのはむしろ凜太郎の方じゃないのか。このくそ男前にモテるから心配なんだと言われてもまるで説得力がない。そんな樹の正論も聞かないで、遥は情けない声を響かせた。
「俺、もうどうしたらいいのかわかんない。りんが他の人のとこ行っちゃったら…」
「で、なに、音羽に愛想がどうのって、そう言われたわけ」
「ううん。言われてない。けど…モテるのは本当なの」
「仮にそうだとして、でも音羽はちゃんとお前のこと好きなんだからそれで良いだろ」
「でも、宮木さんが…」
「宮木?」
「りんの、中学のときのクラスメイト」
「はあ、」
「りん、中学生の時、宮木さんのこと好きだったんじゃないかって。それで、今、宮木さんがりんのこと…」
「おい待て。その、宮木さん?のこと好きだったっていうのは誰が言ったんだよ」
「宮木さん」
「はあ?本人がそう言ったのか」
「うん」
どんな自信だよ、強かな女だなと感心する反面、それはまるで“宣戦布告”みたいだなと樹は視線を彷徨わせた。いやその彼女をみてみないとなんとも言えないが。そんな自信満々に言えるのなら、相当なものじゃないか。そして志乃遥にわざわざそんなことを言ったということは、何かを察したからだろう。でなければわざわざそんなことを言うメリットはないし必要もない。
「音羽には?ちゃんと確かめたのか?」
「……」
「……だって、りん、一人で行っちゃったんだよ。俺と宮木さんが話してるのみて、走って一人で」
それはお前がその宮木さんとやらと話してるから、音羽は動揺したんじゃないのか。そう言いかけて、口をつぐむ。遥がまだ何か言いたげな顔をしているから。
「りんが好きだった、っていうのもショックだし、考えたくもないけど、でも、それだけじゃない。だって、校門の前で待ってるの見て、りんは何にも言わないんだよ」
「それは、音羽が宮木さんを今はなんとも思ってないからだろ。まだなんかあるなら、ちょっとは浮かれるだろうし」
「わかってるけど、でも…」
「何がそんなに不安なんだよ」
遥も遥だけど、そんな彼の世話をする音羽も音羽だ。顔は文句なしに良くても、この甘えたで問題児。それを上手く扱っているんだから、相当なものだと思うのが正直なところ。自分も人のことを言えるほどではないけれど、と樹は自嘲気味に頬を緩めた。
「あと、副会長と、話したんだけど。二人きりで」
二人きりで、と言うから少し驚いて目を見開いたら、提出物があって学校行ったと丁寧に教えてくれた。提出物、と言うべきなのか、それは前々から担任に催促されていた進路調査書だったらしい。それでそのとき副会長と偶然遭遇してしまって、何故か向こうに呼び止められた、という話だった。
「それで、俺聞いたんだ。りんこと好きなの、って。そしたら、副会長何て言ったと思う?普通の顔して、好きだよ、って。だから俺と仲良くしてるの見るの、正直やだな」
それは驚きだ。あのポーカーフェイスでそんなこと思っていたのかとか、どういう意味かは置いといてあっさり認めた事とか。それから遥へ敵意を向けるような言葉を吐いたことに。
「俺も好きだって言ったら、知ってるって。去年はりんと同じクラスで、友達と呼べたのは音羽にとって自分だけだったからなんだか悔しいんだ、って。もし俺がいなかったらクラスが違う今でも仲良くしてたかもしれないのにねって」
副会長の言葉をそのまま告げる遥の唇は、時折もう思い出したくないと言うようにきゅっと噛まれる。本人も無意識なのか、その度に一瞬息が乱れる。
「どうして、みんな音羽と友達になろうとしないのか不思議だね、って。あんなに素敵な人は他にいないのにねって。そんな事言われて、俺だって知ってるしって思うじゃん。でもさ、同じこと宮木さんも言ってたんだ。音羽くんの良いところを自分は知ってる。たぶん自分しか知らないと思うんだ、って。俺だって知ってるのに。でも、反論できなくて…唯一言えたのがりんは男前だよってことだけで…」
そう言ったら宮木さんは満面の笑みで、まるでそんなこと知っている言う目で、「意外だね、ギャップだね」と言った。反論できないわけないだろう、今、音羽凜太郎は俺のことが好きなんだ、と教えてやればよかったのに。それができない辺り、遥は本当にあのお人好しのことを考えているんだと思う。
「りんを好きなのが俺だけじゃないんだって思った瞬間、一気に自信がなくなった。もちろん、自分が一番だと思ってる。それでも…」
「逆にさ、お前のこと好きだってやつがいて、音羽がそれ気にして遥のこと避けたら、どうすんの」
「そんなのっ」
関係ないだろ、馬鹿だなほんと。
「じゃあやっぱりさっさと音羽のとこいけよ」
「……」
「具合悪そうだったけど、母親も妹も出掛けてるって言ってたぞ。誰が看病してんだろうな」
「えっ!?」
「お前に連絡つかないとなると、それこそ副会長に助けてーって言ってるかもしれないぞ」
音羽凜太郎はそんな柔な人間ではないと思うけど、と続ける言葉を飲み込むと、遥が目をキョロキョロと泳がせた。ヤバイ、と焦り始めているのだろう。
「じゃあ、言いたいこと言ったし、俺帰るわ。雨も降りそうだし」
昨日から降ったりやんだりを繰り返す嫌な雨。樹はその空を一瞬だけ見上げて、「じゃあな」と遥の肩を軽く叩いた。早くいけよ、と念を込めて。けれど、それを引き留めた遥は、またぽつりぽつりと言葉をこぼした。それを口出しせずに最後まで聞いた樹は、「じゃあやっぱりさっさと音羽のとこいけよ」と、今度はさっきよりも強く遥の肩を叩き志乃家を後にした。
そんな樹の背中が遠ざかるのを見送ることも忘れ、遥は勢い良く玄関のドアを閉めた。