「ただいまー」

「あっ、おかえりー!」

誰もいないと思っていても口から出るただいまに、返事が返ってきた。「あれ、母さん?」と靴を脱ぎながら顔を上げるとひょこりと廊下の向こうから母さんがこっちを覗いた。まおはそれに気付いてないバタバタと廊下を進んだ。

「まま、ただいま!お仕事は?」

「今日は早く上がれたの。二人は?図書館行ってたの?雨大丈夫だった?」

「うん、今降りだしたばっかりだから大丈夫。母さんは?濡れなかった?」

「うん。ままも大丈夫。ありがとう。あのね、明日お休みになったの」

「そうなの?日曜休みなんて久しぶりだね」

「そうなの〜それでね、今度の企画のために仕事場の人と水族館行くことになって、二人も一緒に行かない?その人も子供誘ってみるって言っててね」

「水族館?行きたい行きたーい」

「うん、行こうね〜。りんちゃんはどうする?何か予定があるならそっち優先していいからね」

「あー…うん。大丈夫、何もないよ」

水族館、か。たしか明日も今日みたいな天気の予報だった。だったらすこし、しんどいかもしれない。頭痛持ちだからといって、必ずしも症状が出るとは限らないけど…今は考え事や悩み事があって、体調もなんだか優れない。いくのはやめた方がいい気がするけれど、気持ちとしてはいくと言う選択肢しかなくて困る。

「まお、手荒いとうがいしておいで」

「はーい」

僕も洗面所へ向かう小さな背中に続くと、母さんがそっと僕の手をとった。

「頭、痛いんでしょう?ままも今薬のんだとこだったの。りんちゃんも無理しちゃダメだよ」

柔らかく微笑んだ母さんは、常備している痛み止の薬を手渡してくれた。僕がもっと小さかった頃、頭が痛くて泣いたことがあった。そのとき「ごめんね、ままの所為なの、ごめんね」と何度も謝られた。それ以来、あまり口に出さないようにしていて。

「うん、ありがとう」

それでもばれてしまうものなのか、母親の目は侮れない。
素直に受け取った錠剤を握ると、「明日も無理しないで」と告げられた。その言葉になんだか泣きたくなって、今の状態と気分ではやっぱり無理だよなと思い知った。

「うん、じゃあ、うちで、待ってる」

「わかった。まおには言っておくね。あ、懇談のプリント類見たよ。先生に無理言っちゃったから申し訳ないな〜」

「何かあればまた言って下さいって」

ああ、そうか、三者面談…母さんはなにも聞いてこないけど…話し合えって言われたんだった。自分から切り出す、しかないか。

「りんちゃん」

「、ん?」

「悩みごとがあるって、それはそれでいいことなんだよ」

「へ」

「なーんにも悩まないのが一番かもしれないけど、悩んだ分だけ変わることもあるでしょ。それだけ考えることができる人になって、たくさんのことを知るの」

「…う、ん」

「ままに相談してくれてもいいんだよ〜」

「あ、りがと…」

「あ、でも言えないこともあるよね。うん、やっぱり言わなくていいかも」

「何それ」

思わず漏れた笑いに、母さんは目を細めた。

「あー、そうだよ、そうだよね。りんちゃんももう高校二年生だもんね。そりゃあいろいろあるよね、うん。でもままちょっと寂しいな〜」

何が、とは聞けなかった。
進路どうこう、よりも今僕の中を埋めているのは志乃のことだからだ。母さんには言っていない。志乃と付き合ってること。志乃のことが好きで、ちゃんとお付き合いをしているんです、って。言えないのは、それが普通じゃないってわかってるから。母さんがショックを受けるんじゃないかって思うから。そして、否定されるのが怖いから。

「洗ってきたよ〜!つぎりんちゃんの番」

「はい」

結局、翌日僕は一人留守番をすることにした。
いつも通りに起きると、すでに母さんが三人分の朝食を用意してくれていて、洗濯も回してあって、僕はすることがなかった。

「りんちゃんはゆっくりする日なの」と諭され、大人しく甘えることにした。けれどすることがないと、朝の時間ももて余すしかなくて。二人が出掛けるのを見送ってからは本当にすることがな、もう一度ベッドへ戻って目を閉じた。
体調は、やっぱり昨日と変わらない。志乃からの連絡もないままで、それが原因でこんなに具合が優れない、それは分かっている。不安、というより不安定でぐらぐらしているようなそんな感覚。
二度寝のために潜り込んだ布団のなかで、なにもしない、ということに焦りを感じたけれど眠りにつくことができた。そういえば、ここ三日ほど充分に眠れていなかったと、気づく頃には意識を手放していた。



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