「おー、ありがとう。悪いなー」
「あ、いえ」
「…志乃は、一緒じゃないのか」
「へ、あ…はい」
なんだ、それを期待していたんじゃないのか。意外そうな顔をされて、そんなことなら一緒にこればよかったと思ってしまった自分が、恥ずかしい。
「まあ、とりあえず座って」
「はい」
「懇談のことなんだが、日にちと時間はお母さんの指定してくれたもので大丈夫ってことで、伝えておいてな」
「はい」
「あと、これ一応親御さんに面談で渡すものなんだけど、それまでに一度目を通してもらって。で、あとは…」
先生は丁寧に話を進め、メモまで書いてくれた。それで終わりだなんて思わなかったけど、この感じなら早く帰れそうだ。なんとなく不安定に見える志乃を待たせるのも嫌で、早く志乃のところに戻りたいと意識がそちらに向く。
「で、それから…進路のことなんだが」
「、はい」
「“就職”でいいのか?」
「はい」
「まあまだ二年だし、周りも真面目に書いてる生徒は少ないと思うけど…音羽は真面目に考えて書いたんだろう?」
「そうです」
ああ、ここでこの話か…少し憂鬱、な気もするけど免れないことだ。僕はひとつ、小さく息を吐いて先生の手元を見つめた。
「……音羽の成績と内申点なら、指定校推薦で行けると思うし、返済義務のない奨学金も出ると思うぞ。面談までに親御さんとしっかり話し合った方がいいと思うんだが」
「…いえ、入学した時から決めてたことなので」
もちろん、大学生に憧れないわけじゃないし、やりたい事が全くないと言うわけでもない。僕みたいな人間でも広いキャンパスを友人たちと賑やかに歩くことが出来たら、と考えないわけじゃない。
「そうか…まあ、本人がそう言うなら先生も何とも言えないけど…まだ時間はたくさんあるし、考えるだけ考えてみたらどうだ」
考えないわけじゃないけど、だからといって我慢しているわけでもない。なにも考えないで行けるなら、それにこしたことはないのだけれど。家のことやお金のこと、それを考えて出した答えだから、上手く誤魔化すこともできない。
「……はい」
「何か、資料や聞きたいことがあったらなんでも聞いてくれていいんだからな。俺一応担任なんだしさ」
「ありがとう、ございます」
話はそれだけ、と先生は僕の肩を軽く叩いて腰をあげた。
「じゃあ、失礼し…」
「あー、悪い、もうひとつ。志乃のことなんだが…」
「はい?」
「どうするつもりなのか、知ってるか?」
「え…さあ、僕はなにも…」
「そうか、悪いな。ありがとう」
「いえ」
「呼び出してすまない。気をつけて帰れよ」
「はい」
失礼しましたと職員室を出ると、何とも言いようのないモヤモヤが胸に広がっていた。自分のこと、それから志乃のこと。いろんなことがぐるぐるしていて、何かを考える余裕なんてない気がする。放課後の校内に響くのは野球部の声と吹奏楽部の演奏だけ。
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