「迫田ー、佐藤ー、椎名ー、志乃……志乃ー?」

「……」

だけどその翌日、寝不足も手伝って僕の心は荒れていた。

「休みかー?」

“寝坊したから、先いってて!”というメールが家を出る直前に来て、それから久しぶりに一人でまおを送ってから登校した。当然志乃はまだ来ていなくて、けれど朝のホームルームが始まってからも、その姿は現れない。変にドキドキして、荒れている、というよりは胸がモヤモヤして気分が重い気がした。

「…次ー、瀬賀ー、高井ー…」

ホームルームが終わると、先生が日誌を渡しにきた。

「あと、放課後、これ持ってきたときに少し話がしたいんたが」

「え、」

「いや、説教とかじゃないから。懇談のことで、いろいろ」

「あ、はい。分かりました」

「悪いな、頼む」

そうか、志乃が隣にいないから話しかけたのか。いや、いないのを見計らって速やかに話し、立ち去る、ということか。なんにせよ、懇談のことで僕も先生と話したかったからいい機会だ。と、深呼吸をひとつして一限の英語の準備をしようとした瞬間、忙しく教室に駆け込む足音が響いた。

「、」

「っ、あ」

ギリギリアウトで駆け込んできたのは志乃だった。全力で走ってきたのか肩を大きく上下させて、息を切らしている。その巨体はそのまま僕のとなりの席へと腰を下ろした。

「おは、よう…りん」

「…おはよう」

あれ、なんか、いつかのデジャヴ…みたい。

「ちっ、違う!違うからね!!」

「え、あ…いやまだ、なにも」

絆創膏もガーゼもない。ただなんとなく、左のほっぺが赤く腫れているように見えた。けれど血が滲んでそのまま固まった唇の端に、ああ、殴られたんだろうかと、すぐに気づいてしまった。

「喧嘩じゃないよ」

僕の手を握りしめる志乃の手に、確かに傷はない。もうひとつ言えば、ほっぺと唇以外顔にも傷はない。疑ってもいなかったけど、志乃の情けない顔に見つめられてはそれ以上なにも言えない。

「りんちゃん、」

「痛く、ない?」

「…それは、大丈夫」

「そう、」

もうすぐに一限が始まる。
僕は志乃に準備を促してから、「大丈夫だよ」と呟いた。授業が始まればそれに集中していればいい。志乃のことを気にする必要はない。ないのに…

「りんちゃん、手繋ぎたい」

「…」

「お願い」

「いや、右手塞がったら、ノートとれないよ」

僕が。志乃は左手が塞がるだけだから、不便はないだろうけど…いや、そうじゃない。問題はそこじゃなくて、授業中に手を繋ぐという破廉恥な行動についてだ。

「んー…」

「どうしたの、何かあったの?」

「んーん、なにも」

何もないわけでもなさそうだけど。
とりあえず授業中は話も聞けないかと、気にはなったけれど聞けないまま。いつもならそのうち元通りになるしな、とも思ってしまっていた。でもなぜか今日はダメで、極めつけは放課後だった。
昨日同様日誌を書く僕を待つ志乃に、先生に呼び出されてるから遅くなるかもしれないと告げれば、途端に俯いてしまって。「先帰ってて」というのはなんだか違う。一緒に住んでいるわけじゃないし、必ず僕の家に寄らなければいけないわけでもないからだ。でもまおを迎えに行って、というのはもっと違うしどれだけ時間がかかるのかもわからないのに待たせるのも悪い。

「えっと…」

「待ってるよ」

「え、あ…うん。でも、あんまり遅かったら帰って良いからね?」

「……うん」

「ん、じゃあ行ってくるね」

「……」

誰もいないし、誰にも見られていないだろう。僕はほんのり腫れた志乃の頬をやわらかく撫でてから鞄を掴んで教室を出た。そのまま職員室へ行ったものの、何度も振り返ってしまったし、立ち止まってしまった。別に大丈夫だろう、と思う反面どこかで何が心配なのかもわからず心配している自分もいて。



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