「だから、行かないって言った。…親不孝者ってぶたれた」

「…ん、」

「お前なんて産まれてこなくてよかったって。人殺しって、何十回も言われたけど、一番辛かったのは、親不孝って言った後…子供だなんて思ったことはないけどって……俺、」

「大丈夫、大丈夫だから」

「ショックで、何も、言い返せなかった。俺がいなきゃ─」

「はるか、それは違う 」

「っ、」

「僕は遥がいなきゃ嫌だよ。出会えて良かったと思ってるし、こんなに好きな人が居なくなったら寂しいよ。だから遥が自分なんて…って言うのも悲しい」

僕も、父さんが死んでからたくさん苦労した。でもそれを“苦労”とは言いたくないし、我慢も嫌な思いもしてきたけど、それを恨むこともしない。確かに僕には母さんとまおがいて、志乃の感じていた孤独感みたいなものの大きさは想像できない。それでも、志乃に、そんなふうに思って欲しくはない。どんなに無責任でも、そう思ったのだ。

「俺だって、りんが居なくなったら…」

「ね、同じ。だから、そんなこと言わないでほしい」

「…ごめん」

「僕が居るから。ちゃんと、ここに」

抱き締め返すと、逆に志乃の腕からは力が抜けた。

「悲しくても苦しくても、遥には僕がいるし、友達もいるよ。一人じゃない」

「……うん。うん…ね、俺、りんと家族になりたい」

「うん、なればいいよ」

「うん、なる」

志乃はそう言うと、箍が外れたようにわんわんと泣き出した。この男前がここまで子供みたいに泣いたのには驚いた。でも、それほど傷ついて悲しんでいた。無防備に僕の胸で泣く大きな体に、これがこの辺を牛耳っていた不良だなんて、誰が思うんだろうと少し可笑しく思えた。さすがに樹くんも、ここまで泣く志乃は見た事がないんじゃないだろうか。
母親が自分の所為で死んだ、それを父親に責められ続けて大きくなって、本当はもっと荒れてしまうところを、志乃はそうしなかった。自分を責める父親でも、唯一の家族だから。手を離されたままは寂しかったんだ。僕だったら耐えられなかったかもしれない。

「よしよし」

「りんちゃーん」

「うん、ここに居るよ」

「なんか男前…」

「そんな事ないでしょ」

「男前すぎる…もっと好きになっちゃう。……俺、りんがいなかったら、今ごろどうなってたんだろう…ねぇ、りん、好き」

「うん、分かってるよ」

「大好き」

泣いてるのは志乃で、鼻をぐずぐず言わせてるのも志乃なのに、こうして抱き締めても、僕が抱き締められているような感覚だ。泣いている所為かいつもよりずっと体温が高く、暑くてたまらない。それでも離さないのは、僕がそれを心地いいと思っているから。愛しくてたまらない。僕だけが知っている志乃のこんなところを、他の誰にも譲りたくないからかもしれない。

「好きすぎておかしくなりそう。もっとくっつきたい。近づきたいよ、どうしたらいいのかな」

涙でぐしゃぐしゃになった男前が、じっと僕を見つめた。情けないのに、はっきりと熱を帯びたそれは、完全に“男”の顔だ。それは、このまま頭から食べられちゃうんじゃないか、なんて考えてしまうほどに。

「大丈夫だよ、僕も同じくらい好き」

「キスしていい?」

「そ、ういうこと…聞かないで…」

「聞かないと不安になるの」

いつも、僕の返事なんて聞かないのに。
僕が勝手に恥ずかしくなっているところにキスをして、一気に思考を奪うのに。今はそうしない。熱い息が交わるほど唇は近くにあるのに。

「どうして?」

「無言で顔背けられたりしたら泣きそうだもん」

「逸らさないよ」

「…ほんとに?」

「本当に」

抱き合って、額と額をあわせて見つめ合うなんて、なんだか映画みたいだ。喋ると鼻が触れて、くすぐったくて口元が緩んだ。

「じゃあ…」

濁りのない双眼が、不安げに揺れた。
大丈夫、言える。ひとつ、深呼吸をしてきゅっと手を握った。

「じゃあさ、ちゃんと、恋人になろう、そしたらもう、不安じゃない?」

「……」

「泣かないでよ」

無言でぼろぼろ涙をこぼす志乃の顔が、無表情すぎて僕が不安になってしまった。もっと、甘い雰囲気のときに言うべきだったんだろうか、もしかしてこれは完全にはずしてしまったんだろうか、と。そりゃそうだ、今の志乃はそれどころじゃないくらい胸に抱えてることがあって、泣いてしまう精神状態で。だからもっと、落ち着いてする話だった。でも、今この瞬間に言わないとダメだと思った。

「うう…」

「えっ、なんで、そんなに泣かないで」

「だって…だって〜りんずるいよ」

「ご、ごめん」

「ほんとのほんとに、いいの?」

「うん」

とは言っても、ちゃんと“付き合う”とはなんなのかわからないし、何をしたらいいのかも分からない。付き合っていなくても毎日のように会っていて、キスだってたくさんしてしまっていた。もちろん、それ以上のことがあるのは理解しているけれど、僕と志乃にはきっとまだ先の話だろう、じゃあ何が、変わるんだろうか。

「やっぱなし、とか、ダメだよ?」

「言わない」

今までと同じ、毎日顔を合わせて、隠れてくっついたりキスをしてみたり。違うのは、僕の中で志乃と向き合うことの覚悟とか、そういう目に見えないことだ。これからもこの隣を歩くことは変わらない。

「りん、りんちゃん」

志乃は突然これでもかというくらいに僕を抱き込むと、その力とは裏腹な弱々しい声でポツリと声を漏らした。

「俺と、付き合ってください」

震えて、掠れたその声は、僕の感覚を狂わせるには充分すぎた。ただでさえ暑いのに余計に暑くなって、視界はぐらぐらと揺れて、それでもしっかり、今度はちゃんと。

「はい。よろしくお願いします」

そのあと、呆れるくらいキスをした。唇を重ねて、離れて、たまに啄んだりして。何度もそれを繰り返して、我にかえったのはお昼寝から目覚めたらしいまおの、「りんちゃあ〜ん」と叫ぶ情けない声が聞こえた時だった。


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