「遥?」
「りん、俺…」
背後から前へ回された腕にグッと力が込められ、息が詰まって濡れたタオルが落ちた。前にもこんなことがあった気がする。
「うん」
「どうしよう…」
「どうしたの?」
抱き締められるこの苦しさとは全然違う意味の息苦しさとか、痛みとか、今志乃は感じているんだろうか。そっと自分の手をその腕に重ねると、小さな小さな声で、志乃が言葉を漏らした。
「…もう、どうしたって、父さんには…」
“家族として見てもらえないみたい”
そう落とされた震えた志乃の声に、やっぱり昨夜電話すればよかったと後悔した。留守電でももう一度。だってメールも今朝来たときの様子も…確かに少し情けなく感じたけど、今ほどじゃない。きっとすごく無理をして笑っていたんだ。
「すごい、辛い」
我慢していたんだろ、まおに気付かれたくなかったのかもしれない。まだ子供だけど、子供だからその敏感さできっと気付く。
「うん」
「俺が悪いのは、分かってる。仕方ないのも、分かってる…」
重なった僕の背中と志乃の胸が、ひどく熱い。項垂れてきた長めの髪は、すでに少しだけ黒染めが褪せていて、赤く透けだしていた。
「でも…だから、頑張らないと、って…」
「うん」
「なのに、なにしたって」
「遥」
「いらなくても、いいから、なんて…さすがに、言えなかっ─」
「遥」
窮屈な腕のなかでなんとか体の向きを変えて顔を覗き込むと、涙をためた目と視線が絡まった。自分でも驚くほどはっきりと出た声に、志乃もいくらか驚いたように口をつぐんだ。
「大丈夫、ちゃんと見てるよ」
その目を少々強引に指でなぞると、ぼろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「僕が、見てるから」
「りん、たろ…」
「がんばり屋なところも、弱いところも強いところも。それから、やさしいところも全部、見てるら。僕が遥のお父さんに教えてあげたいくらい。遥くんは頑張ってますって、学校も勉強も、おじいちゃんとおばあちゃんのお手伝いも…」
「ありがとう、でもね…仕方ないんだ……」
「仕方なくない」
「だって、最初から全部、俺が悪いんだから…当然のことなんだ」
志乃の傷ついた表情に、自分の胸までズキズキと痛む。この大き体から悲鳴まで聞こえてきそうで、僕はその広い背中を撫でた。
「…昨日、父さんに言われた。アメリカに一緒に行こうかって」
「え…?」
「海外赴任が決まって、夏の終わりにはあっちに行くから遥も一緒に、って。その話の為に、昨日会おうってことになって」
「アメリカ…」
「嬉しかったんだ。なんにも言われないまま見放された時、もう父さんと暮らすことはないんだって思ってたから。…でも、違った」
掠れた声が続けたのは、アメリカで別々に暮らすってことだった。寮の完備された異国の学校に、志乃を一人放り込む、そんな話だった。誰も志乃のことを知らない、家族も友達もいない状態で、一からやり直させる、それとはわけが違う。だって志乃のお父さんはたぶん…
「ああ、俺もうこの先この人と会うことはないんだって…完全に、もしかしたら戸籍だって抜かれちゃうのかもって…」
それでも父親を嫌いにならない志乃は、やっぱり優しい。優しくて、弱くて、強い。
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