行きと同じ時間をかけ、志乃の家にたどり着いた頃には心身ともにくたくただった。
「ふあ〜、ただいまあ」
「お、じゃまします」
「誰もいないんだから、そんなにかしこまらなくていいよ」
誰もいないのに「ただいま」なんて言う志乃も、どうなんだろう。それが染みついているのだとしたら、とことん不良っぽくない。そろそろ不良という定義さえあやふやで、よく分からなくなりそうだ。
「遥だって、言うでしょ」
「…そっか」
「そうだよ」
「ほら、上がって。お腹は?すいてる?ごはん食べられそう?」
「あ、うん。歩いてるうちに、気分は良くなったから、食べられるよ」
ただの人酔いと、乗り物酔いだ。
夏の生暖かい風でも、当たって歩いていればいくらか楽にはなるらしい。
「じゃあ、すぐ作るね」
そう言って志乃が作ってくれたのは宣言通りうどんだった。大葉と、梅肉と、かつお節ののった、冷やしうどん。味は文句なしに美味しいし、けれど、手際よく作るところも慣れてる感じがするのも、やっぱり違和感を抱く。
「おいし?」
「美味しいよ、すごく」
「よかった」
親に褒められた子供みたいな顔、いや、ボールを咥えて尻尾を振る犬…みたいな。それから二人で片付けをして、志乃の部屋へあがった。
大丈夫、落ち着け、いつも通り…でも、ドキドキがおさまらなくて困る。志乃の“うち、来て”に、含まれていた意味を考えてしまう。なんとなく悟ったその予想に、考えれば考えるほど落ちつかなくなる。志乃はどうなんだろう、僕と同じでいてくれたら嬉しい。例えばいつもなら肩がぶつかるくらい密着して座るくせに、今は微妙に距離があるのは、僕と同じだから、とか。
時刻は思ったより遅くない。朝が早かった分やっぱり一日が長く感じられる。いや、でも今日一日を振り返ってみると、ものすごく濃かった気がするから、あっという間だったと言えば、あっという間だったような気もする。
「…あの、遥……?」
「っ、ん?」
ピクリと揺れた肩に、やっぱり志乃も変に緊張しているのだと悟った。
「今日は、ありがとう。楽しかった」
「お、俺も!すっごいすっごい楽しかった。今までで一番!!」
大袈裟だなあと笑えば、志乃は本当だもんと小さく口を尖らせた。それがおかしくてまた笑った僕に、志乃もつられて笑ってくれた。
「ほんと、ありがとう」
「ううん、俺の方こそ。また、どっか行こうね」
「うん」
「まおちゃんも一緒に」
「うん」
「でも、二人っきりも、たまには」
「うん」
「…凜太郎」
「、」
にこにこしながらあれやこれやと思い浮かべて、口に出して、そのまま顔を寄せてきた志乃。それにさえ緊張して焦って、僕は頷くしかできないのに。なのに、だ。急に真顔に戻って、名前なんて呼ばないで欲しい。りん、と呼ばれることも照れるのに。“凜太郎”なんて、誰も呼ばないのだから、余計に照れる。しかも呼んだのは志乃だ。
「な、に」
「…い?」
いい?って、何が…
これはだめだ。本能的にそう感じる。身の危険を察知してしまった様な気分だ。それでも近づいてくる顔に、なんとか力を込めて志乃の動きを止めた。ただ、出遅れた所為で、鼻と鼻がぶつかってしまっている。
「、まっ…待って」
「嫌?」
「や、ちがくて…その、言いたいことが、あるんだけど」
途端、志乃の顔が曇った。何か、変な想像でもしたのだろうか。たぶん、そうだろう。改まって何を言われてしまうんだと、不安になったのだろう。
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