「……で、音羽とはどうなんだ」

「どうって…まあ、うん」

「なんだよそれ」

「うるさいなあ」

「お前なあ、頼むから俺の苦労を水の泡にしないでくれよ」

「どういう意味ー?」

恐らくそれは樹の“苦労”が何なのかではなく“水の泡”という言葉の意味を問うているのだろう。分かってはいたが、樹はそれ以上言葉を重ねるのが面倒で口を噤んだ。代わりに「音羽とラブラブなのか」と、不本意ながらダイレクトな言葉を紡いだ。

「んー?今度デート行く」

「ああ、そう」

「海。りんと二人で」

「はいはい良かったな」

「うん」

へらり、笑った遥に樹は小さく肩をすぼめた。
本当に単純と言うか、思考回路が子供で。この笑いに凜太郎もぐさりとやられているのだと思うと、自分も彼も不憫に思えてしまう。苦労するのは遥ではなく、その近くにいる人間なのだから。

「……遥、お前さ」

「んー?」

「いや、ほら…音羽は思い出したのかなって」

「……さあ、りんに聞いてみれば」

「はあ?お前はそれでいいのかよ」

「良いも悪いも、今俺はりんの隣に居られるんだから、別にそれで満足だし」

「だけど、お前─」

「いいの。俺がりんのこと好きなのは変わりないし、これからだって変わんない。りんが俺のことみてくれてる、今はそれでいいし、途中でそういえばってなったら、その時は喜ぶけど」

「…そうか。まあ、遥がそう言うなら別にいいけど」

「……こんなのさ、奇跡だから」

「は…?」

「俺、もう決めたの」

何を、と問うことが出来なかったのは、嫌な足音に気付いてしまったから。
樹はぴたりと足を止め、それにつられて遥も前進するのをやめた。もうすぐそこに、遥の家はあるのに。樹の家はその手前で右折する。ただ、まだその分かれ道ではない。

「樹?」

「あー、遥、お前走って逃げた方がいいかも」

「え?」

「音羽とデートするんだろ。怪我したら怒られ─」

「おー、どっかで見たことある金髪だと思ったら志乃じゃん。久しぶり〜」

「……」

「まだ樹とつるんでんだな 。もう足洗ったから手は出すなって、さんざん俺らやられたのに」

「…ごめん、誰だっけ?」

「あー?そうだったわ、志乃ってそういうやつだったよな。自分の力自覚して、人の上で胡坐かいてるような」

「名前、聞いてるんだけど」

「言ったら思い出すのかよ」

「遥、相手にしなくていいから帰れ」

相手は5人。
樹は彼らが遥に手を出すことはないだろうと確信していた。
それは目の前にいる彼らが以前、他でもない遥にぼこぼこにやられたから。遥のその異常な強さを知っているはずだから。5人じゃ加勢にもならないと分かっているはずだから。けれど同時に 、こんな安い挑発に乗った遥にやられたとしたら、それはそれで遥が不利になると想定していると分かった。
一線を退いた志乃遥が暴れたなんて知れ渡ったら、それはもう面倒なことになるに違いないし、凜太郎までまた危ない目に遭うかもしれない。

「志乃」

「遥!帰れ!!はる─」

ゆらりと、遥の金髪が揺れて大きな手がのばされた。



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