18
賑やかな夜の街に紫陽花は咲いていないけれど、七年ぶりの彼の顔に、真っ先に浮かんだのはやっぱり紫陽花だった。結婚していないときいて、正直ホッとした。数時間前はよかったと思ったくせに。やっぱり、目の前にすると…
「折原?」
「、」
髪に触れていた手が落ち、傘の柄を握る紺野の冷えた手へと滑る。
「紫陽花」
「…うん?」
「紫陽花見る度、紺野のこと思い出すんだ。今でも。あの夏から、紺野のこと忘れた日がないんだ」
濡れた手が、しっかり柄を握り直す。
何を言われるのか、と少し位は緊張してくれていたりするのかな。その手ごと捕まえて、真っ直ぐに目を見ると黒く濡れた瞳が一瞬揺れた。
紺野にもう一度会えたら、あのとき紺野のことが好きだったと伝えようと思っていた。どうして引っ越したんだと、笑って問いたかった。今は、そのどちらでもなく、違うことを口にしようとしている。
「俺、」
七年間美化してきた紺野は、それでもやっぱりそのままの紺野で。俺のことを優しい目で見つめて言葉を待ってくれている。
「紺野の部屋に行って、話をした日、帰りに…キスしたいなって思って」
「……はは、したじゃない」
「おでこじゃなくて」
「折原。折原があの話をどう受け止めて、僕のことをどう思ったかは分からないけど、少なくとも僕は救われたよ」
「……」
「本当は、別れてから何度も何度も死のうと思って、それくらい辛くて苦しかったんだよね。でも、あったこと思ったことそういうの全部言葉にしたら軽くなったんだ。相手が、昔からの友人とか家族じゃなくて、仕事仲間じゃなくて、折原だったからかもしれない。折原が、僕が幸せだったなら良いんじゃないのって、言ってくれたからかもしれない」
ぽたりと、手の甲に水滴が落ちた。
傘に、穴が空いたのかもしれない。
「生きてる意味も無いくらい、それくらい追い込まれてたくせに、そっか、って、気持ちが落ち着いたんだ。あの時もう今橋先生の復帰の目処はたってて、僕はここに引っ越すことも決めてて、だから…」
「俺、会いに行ったのに」
「アパート?」
「うん」
「ごめん、でも、折原、あれから保健室来なかったから…もしかしたら引かれたのかなって。高校生にあんな話したの、良くなかったなって…最後の日に、折原が帰ってくの見かけたけど、声かけられなかった」
「考えてた。何て言ったら、紺野に伝わるか。自分が何て言いたいのか。梅雨が明けたら傘も返すつもりで…」
「僕も、折原のこと忘れなかったよ。あの言葉があったから立ち直れたし、もし、また、会えたら…ありがとうを言うって決めてた」
「はは、いらないよ、あれは…子供だったから言えた綺麗事じゃん」
「でも折原はそれを綺麗事って思わないで言ってくれたでしょ」
「今だったら、もっと男前なこと言えたかも」
半歩近付いて、傘を受け取って、濡れてしまった体をやんわりと抱き締めた。
懐かしい匂いがした。“懐かしい”と思えるほど知らないくせに。
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